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米中新冷戦の間で、存在感を失った日本が生きる道とは?<野口悠紀雄氏>

 Photo by D. Myles Cullen via The White House(Public Domain)

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◆存在感をなくした日本は米中の間でどう活路を見出すべきか?

 世界における我が国の存在感は、平成の30年間で一気に低下した。

 いま、米中両大国の覇権争いが熾烈に成る中で、日本はトランプ政権の対中新冷戦外構に追随しようとしている。その道は本当に正しいのか?

 本日5月22日発売の『月刊日本6月号』では、「米中の間で、どうする日本!」という第一特集を打ち出している。

 今こそ、対米追従外交と決別し、自主外交への転換を視野に入れて日本は動くべきではないか?

 もはや、日本の外交政策も経済政策も必要なのは大転換である。どうすれば日本は世界における存在感を回復できるのか?

 日本の進むべき道を識者に聞いた同特集から、野口悠紀雄氏へのインタビューをここに紹介したい。

◆日本よ、早く目を醒ませ!

── 野口さんは『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)において、日本経済の失われた30年を浮き彫りにしています。

野口悠紀雄氏(以下、野口):この本の中で私が最も言いたかったことは、平成の時代を通じて、世界の中での日本の経済的な地位が低下していったということです。日本が努力したけれどもだめだったのではなくて、世界で大きな変化が生じていることに、日本が気づかなかったために、取り残されてしまったということです。日本は30年間、眠り続けていたということです。そして、未だに眠っているのです。だから、「早く眼を醒ませ」と言いたい。

 中国のGDPは1990年には日本の7〜8分の1に過ぎませんでしたが、2016年には日本の2.3倍に拡大しました。また、中国の一人当たりGDPは1990年には日本の82分の1でしたが、2016年には日本の約2割にまでなっています。

 しかし、むしろ重要なのは、すでに工業化していた先進国であるアメリカが、著しい勢いで成長したことです。アメリカのGDPは、1990年には日本の1.9倍でしたが、2016年には3.8倍に拡大したのです。また、アメリカの一人当たりGDPは1990年には日本の約95%でしたが、2016年には日本の1.48倍に拡大しました。

 日本は1980年代に輸出で世界を制覇しました。その結果、多くの日本人が「日本は優れた国だ」といい気になってしまったのではないでしょうか。ところが、すでに1980年代には新興国の工業化が始まっていたのです。韓国、台湾、香港、シンガポールの「アジアNIES」に続いて、中国が工業化を始めていました。1970年代末に、小平が「改革開放・現代化路線」を掲げ、政策の大転換を始めていました。1990年代の半ば以降、中国では国有企業の改革が進み、1990年代末には、中国の多くの産業分野で、新しい企業が生まれ、成長していきました。一方、1980年代から90年代にかけて、IT(情報技術)革命と呼ばれる大きな変化が進行していました。

 こうした変化に対応して、日本の製造業は新しい条件に適応した構造に変化することが必要でした。それまでの製造業の生産方式の主流は、一つの企業が工程の最初から最後までを行う「垂直統合型」でした。これに対して、複数の企業が様々な工程を分担して受け持ち、あたかも一つの企業のように生産活動を行う「水平分業型」が、新たなビジネスモデルとして登場しました。

 その象徴的存在がアップルです。同社は垂直統合型でPCの生産をしていましたが、2004年のiPodの生産から水平分業に転換したのです。アップルは、製品の開発と設計、販売に集中するようになりました。アップルの設計のもとに世界中の企業が部品を生産し、フォックスコンが中国で組み立てるのです。「ファブレス」(工場なし)という新たな製造業の誕生です。ところが、日本の製造業はこうした変化に対応できなかったのです。
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