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雅子さま、記者に「ご苦労さまです」とお声を掛ける優しさ

外務省で働くなか、お妃候補として常に注目を集められた

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 新皇后となられた雅子さま(55才)。ハーバード大を卒業後の1986年4月には合格率3%の難関を突破して東京大学法学部に学士入学し、同年10月、外交官試験に合格する。翌年4月、外務省に入省して経済局に配属された。

【写真】雅子さまの御髪に蝶が…そのとき皇太子さまは?

 当時の朝日新聞インタビュー(1987年12月25日付)では、仕事と結婚をめぐってこんな発言をされた。

《いよいよ外務省から内定をもらったとき、これで自分は結婚できないかもしれない、とも…。両立させたいですね》

 実はこの頃すでに、天皇陛下(浩宮さま)と雅子さまはスペイン王女の歓迎レセプションや日英協会主催のパーティーなどで面識があり、陛下と雅子さまが内々に歓談されることもあった。

 その後、外務省の研修留学で赴いた英・オックスフォード大学から帰国すると、外務省の北米局北米第二課に配属されて海外要人の通訳やスピーチの草案づくりなど重要な仕事を担当された。

 帰国から2年、陛下と雅子さまは元外務事務次官の柳谷謙介氏の自宅でおよそ5年ぶりに再会された。

「陛下の強い意向もあり、宮内庁が調整した再会でした。この時、陛下は軽井沢から予定を変更して東京へ戻り、目立たぬようにカーテンで目張りをしたワゴン車で柳谷宅に向かわれ、皇室での暮らしについて熱心に雅子さまにお話になられました」(皇室ジャーナリスト)

 再会から2度目のデートで天皇陛下は、「私と結婚してくださいますか?」とプロポーズされる。

 雅子さまは最初こそ「住む世界が違いすぎ、自信がありません」と固辞されたが、その後も陛下は連日の電話で、思いを伝えられた。

 衷心からのお言葉に、もともと陛下に好感を抱かれていた雅子さまはお気持ちが動かされる。そして2度目の結婚のお申し出に「…つつしんでお受けします」と答えられた。プロポーズを承諾した後、陛下が「これから会う方法を工夫しなければ」とおっしゃると、雅子さまはウイットを効かせてこう答えられた。

「パンダのぬいぐるみをかぶってまいりましょうか」

 1993年6月9日、約19万人が沿道に詰めかけ、ご成婚祝賀パレードが行われた。ご成婚時から雅子さまを追いかけている主婦の吉田比佐さん(57才)が振り返る。

「雅子さまがお妃候補として報じられた時は、ショートボブにトレンチコートを着こなし、“こんなにきれいな人がいるのか”と驚きました。ご成婚パレードにも駆けつけ、四谷の交差点で初めて雅子さまをこの目で見た時、一瞬、目が合ったような気がしたんです。一気に惹きつけられて、“一生雅子さまを追いかけよう”と心に決めました」

 ご結婚1か月後に開かれた東京サミットの宮中晩餐会では、若草色のドレスに身を包んだ雅子さまが英・仏・独語を駆使して各国の首脳をもてなされた。1994年には天皇陛下とともにサウジアラビアなど中東諸国を公式訪問し、新しい皇室の国際親善を感じさせた。

 皇太子妃となられてからも、独身時代のようなユーモアセンスを公の場で発揮された。

「ご結婚5年を過ぎた1998年の会見で夫婦円満の秘訣を聞かれると、雅子さまは『夫婦げんかは犬も食わぬと申しますが、けんかの種は割とよく拾って食べてくれるような気がします』と愛犬を引き合いに出されて記者を笑わせました」(皇室記者)

 2001年にはご成婚から8年目にして待望の第1子である愛子さまが誕生し、日本中が祝賀ムードに包まれた。2003年4月、天皇陛下ご一家が葉山御用邸に滞在中、雅子さまは、本誌・女性セブンの女性記者に「いつも、ご苦労さまです」と声をかけられた。

 記者が思わず「私にも、愛子さまと同じくらいの娘がおります」と言うと、雅子さまは満面の笑みをたたえて「まあ、そうなんですか」と話された。

 その後、雅子さまは愛子さまについてこう話された。「まとまった会話はまだですね。でも、ボールを『ボ』とか、ロバのことを『バ』などと言います(笑い)」

 しばしの育児談議ののち、帰り際に雅子さまは記者をこう気遣われた。

「どうかお嬢さま、お健やかにね」

※女性セブン2019年5月30日号

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