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西鉄バスジャック事件、ひきこもり少年が「2ちゃんねる」に犯行予告【平成の怪事件簿】

社会で居場所をなくした少年はネット上でもつまはじきにされ・・・

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 平成の事件史を振り返るとき、舞台装置に「インターネット」が登場したことが、ひとつの特徴といえるかもしれない。「西鉄バスジャック事件」では、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)に犯人からの“メッセージ”が書き込まれていたことが話題になった。(福田ますみ ノンフィクション・ライター)

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 2000年5月3日午後0時56分、西鉄天神バスセンター(福岡市)行き高速バス「わかくす号」が佐賀駅バスセンターを出発した。ゴールデンウィークの最中ということもあり、車内はのんびりした雰囲気が漂い、あちこちで笑い声が響いていた。
 
 異変が起きたのは、午後1時35分頃、九州自動車道太宰府インターチェンジを過ぎたあたりである。バスの前方で突然誰かが大きな声でわめき始めた。
 
 驚いた乗客が見ると、左側前方にいた少年が、全長40センチもの牛刀を振りかざして立ち上がり、「このバスを乗っ取る」と叫んでいる。その時バスには、少年を含む乗客21人と運転手、合計23人が乗っていた。

社会で居場所をなくした少年はネット上でもつまはじきにされ・・・

 色白で縁なしの眼鏡をかけた小柄な少年は、その姿に不釣り合いなほど大きな牛刀を握りながら、「荷物を前の方に持ってきて積み上げろ。客は全員後ろに移動しろ」と命令した。ところが、高木千代子さん(仮名・当時34歳)は1人、事件が起きたことも知らず眠っていて席を移動しなかった。

「あなた、ふて腐れていますね〜」

 少年は冷ややか言うと、いきなり彼女の首のあたりに切りつけた。それまで半信半疑だった車内の空気はいっぺんに凍りついた。その後少年は、男性客を後列に女性客を前列に集め、運転手には、「まっすぐ走ってください」と指示した。午後2時40分過ぎ、バスが門司・小倉東インターチェンジに入る頃、トイレ行きを許された女性が下車後、そのまま逃走、高速道路上の非常電話を便って事件を通報した。少年はこの逃走に激昂し、「あいつは裏切った。見せしめのために1人殺します」と言うやいなや、山田裕子さん(仮名・当時50歳)の首や顔を2、3回、ズブズブと刺した。とたんに血がものすごい勢いで噴出し、山田さんは通路にどさっと倒れた。少年はその血に指を浸して舐め、「血がすごいですねえ」と言ってにやにや笑ったという。
 
 3人目の犠牲者が出たのはこのすぐ後である。1人の女性がバスの窓から脱出したのに気づかなかった少年は、窓が開いたままになっているのを見とがめ、近くに座っていた土田陽子さん(仮名・当時68歳)に向かって、「何をしている。逃げようとしているのか」と近づき、首を刺した。土田さんは「ぎゃ一つ」と悲鳴を上げ、隣の座席に倒れ込んだ。するとまた、後部座席で男性が飛び降りた。少年は再び土田さんに近づくと、「私じゃない!」と叫んで、腕で必死に身を守ろうとする彼女に再び切りつけた。バケツをぶちまけたように床に鮮血が流れ、車内は血のにおいで充満した。
 
 午後5時50分、東広島市の奥屋パーキングエリアに停車。土田さん、山田さん、高木さんの3人は降ろされたが、土田さんは既に死亡していた。

「もっと殺せばよかった」

 地獄絵図さながらの車内で、恐怖に凍りついていた残りの人質女性9人がようやく解放されたのは、事件発生から実に15時間半後。5月4日午前5時過ぎ、東広島市の小谷サービスエリアで停車中、大阪府警と福岡県警から構成された特殊急襲部隊が車内に突入し、犯人の身柄を確保し、人質が救出された。

「県警がバスに突入してきたとき、周りにいた人をもっと刺殺すればよかった」

 逮捕後、少年は捜査本部の取り調べに落ち着き払ってこう答えたという。
 
 少年は、佐賀市内のサラリーマン家庭の長男で当時、17歳。
 
 小中と優等生だった少年だが、中学校の3年生頃から人格が変わったように荒れ始め、家庭内暴力が始まった。両親は、運動神経が鈍く、すぐにむきになる息子の性格から、学校でいじめにあっているのではないかと思い込んでいた。
 
 高校受験を目前に控えた中学3年の冬、少年は同級生から筆箱を隠され、「返してほしいなら踊り場から飛び降りてみろ」とはやしたてられて、中学校の非常階段の踊り場から3メートル下に飛び降り、腰椎圧迫骨折の大怪我を負った。
 
 この大怪我で少年は2カ月間入院、高校入試も病院の中で受けた。こうした一連のいじめが少年の心に大きな傷を残したのか、せっかく進学校に合格しながら、10日ほど登校しただけで以後は自宅に引きこもってしまった。
 
 事件の前年の夏、「インターネットをやりたい」と言い出した少年のために両親はパソコンを買い与えた。最初はアニメのエッチ画像などを見ていたが、そのうち、猟奇犯罪や殺人事件、死体写真を掲載したサイトなどを、鍵をかけた部屋で食い入るように見るようになった。他にも彼は、インターネット上で夢中になっていたことがあるのだが、それは事件後に発覚する。
 
 2000年に入ると、少年の様子はますます異常になり、不安を感じた母親は、3月2日、少年がいない間に部屋に入った。すると、今まで見たこともない大きな包丁がむき出しのまま置いてあり、母親は腰を抜かしてしまった。
 
 さらにその2日後、再び部屋に入った母親は、「人を殺せ 人を殺せ」「別の誰かが人を殺せ、人を殺せという」などと書かれた文章を見つけた。驚愕した両親は警察や精神科の病院に相談したが、取り合ってもらえなかった。
 
 そこで、東京の高名な精神科医に助けを求めたところ、その精神科医の口添えによって、3月5日、県内の精神科病院に保護入院させることができた。事件が起きたのは、3回目の一時帰宅の最中である。
 
 少年の逮捕後、家宅捜索によって、犯行直前の狂気じみた心理状態を記したメモが見つかった。
 
 「皆殺しにしてやる!! 殺してやる!! 楽に死ねるとは思わないことだ!! 1人でも多くの人間を殺さねば!!」「ともかくひとりとしていかしておけない みんなころす ころしてやる ころしてやる ころす ころす 
 
 それこそわがしめいなのだから」

「ネオむぎ茶」

 しかし彼は実は、メモ用紙だけではなく、インターネット上にも言葉を残していたのである。今でこそ、知らぬ者のない“2ちゃんねる”。彼はそこに、当初は「キャットキラー」、次は「ネオむぎ茶」の固定ハンドルネーム(コテハン)で頻繁に書き込みをしていた。
 
 ちなみに「ネオむぎ茶」とは、2ちゃんねる創設時の常連で、「むぎ茶」のハンドルネームを持っていた人物をもじったものと思われる。
 
 少年は自分がひきこもりであることを告白し、「ガキのころからみんなにバカにされ、さげすまれて生きてきた」「人生に夢も希望もない」と弱い自分をさらけ出し、ネット上の見えない誰かと必死に繋がろうとしていた。
 
 だが、2ちゃんねるの住人は冷たかった。草創期の2ちゃんねるでは、スレッドにコテハンがしつこく居座ることを嫌っていたため、「キャットキラー」に対しても、露骨に少年の書き込みを妨害する“荒らし”が横行、罵詈雑言の応酬になったため少年は、「キャットキラー」の名前を返上。今度は「ネオむぎ茶」のコテハンでスレッドを立て書き込みを募ったが、よけい反感を買い、「氏ね、と言われたいんですか?」などとやられてしまった。
 
 また少年は、司法関係者が議論するスレッドなどにも書き込みをしていたが、そこでも、「ここは君のような無知、無教養が来るところではない」と手厳しい拒絶に会う。
 
 実社会で居場所をなくした少年はネット上でもつまはじきにされ、バスジャック決行の38分前、「ネオむぎ茶」のハンドルネームで「佐賀県佐賀市17歳…。」というタイトルのスレッドを立て、「ヒヒヒヒヒ」とだけ書き込んだ。
 
 これがバスジャックの犯行予告とされ、インターネット=悪と短絡的に決めつけた報道が過熱したため、皮肉にも、2ちゃんねるの知名度が飛躍的にアップした。
 
 なお両親が、事件の原因ではないかと指摘した、少年に対するいじめだが、今となっては、存在したのかどうか疑わしいようである。少年が踊り場から飛び降りて怪我をしたのは事実だが、これも単なるふざけ合いだったとする声がある。
 
 2000年9月末、家裁の少年審判は、少年に「解離牲障害」(意識や記憶が自身から分離する症状)があることを認め、医療少年院送致を決定。それから6年後の06年1月、元少年は医療少年院を仮退院したと報じられた。少年は今もどこかで“2ちゃんねる”を見ているのかもしれない。

福田ますみ

週刊新潮WEB取材班

2019年4月26日 掲載

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