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「人口減少」時代への対処は江戸に学ぶといい


江戸の生活の中に、これから訪れるソロエコノミー時代を生き抜くヒントがあるかもしれません(写真:barman/PIXTA)

8年連続で人口が減少し続けています。


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総務省が4月12日に発表した日本の人口推計によると、2018年10月現在の外国人を含めた日本の総人口は1億2644万人。2011年以降8年連続の減少となりました。

今後も、2100年まで人口は減り続け、国立社会保障・人口問題研究所によれば、現在の半分以下である人口5972万人にまで下がると推計されています。残念ながら、出生率が多少改善されたところで、この大きな流れは止まらないでしょう。

人口減少期は過去3度あった

こうした人口減少は、日本史上未曾有の出来事ではありません。歴史をひもとくと、日本の人口減少期は過去3度ありました。最初は縄文時代の中後期。次に、平安後期から鎌倉時代にかけて。そして、江戸中期から後期にかけてです。そのいずれも、直前に人口が大きく増加した後に発生しています。だとすると、次に来る4回目の人口減少も、歴史の必然なのかもしれません。


拙著『ソロエコノミーの襲来』の中でも詳しく書いていますが、現代と江戸時代とは、非常によく似ていることがわかります。

江戸時代に人口が停滞した要因は、気候変動や食料問題だけではありません。それまで新田開発によって面積を拡大し、同時に労働力としての子どもの数を増やして、それが人口増と経済力の双方を上げていきました。しかし、その伸びしろがなくなり、それ以上成長が見込めなくなると、いわゆる「人口支持力の限界点」に到達し、社会構造的に出産力が弱まったと考えられます。

当時は、農作業のほかに、織物や糸紡ぎなど女性が活躍する仕事が増加しました。それにより、貴重な労働力としての女性の晩婚化が進みます。都市への人口流入もまた未婚化の原因ともなりました。誤解があるのですが、明治初期まで日本の庶民は皆婚ではありません。晩婚化・未婚化・人口の都市集中……なんだか今の日本と、とてもよく似ています。

未婚も多ければ離婚が多いという点も似ています。江戸期の離婚率の高さについてはこちらの記事(『「夫婦は一生添うべし」が当然ではない理由』)に書きましたが、あまりの離婚の多さに幕府が離縁禁止令を出すほどでした。江戸時代はこの享保年間以降、幕末まで人口はほとんど増えない人口静止状態になります。

人口が急増したのは元禄バブル

江戸幕府開始からと明治維新以降の日本の人口動態をスタート時点100として比較したグラフをご覧ください。


江戸時代も1657年の明暦の大火を契機として人口の急激な増加が始まっています。この大火事は幕府開設から54年後でした。くしくも、1923年に起きた関東大震災も明治元年から55年後です。

江戸時代に人口が最も急上昇したのは、徳川綱吉の頃で、これは「元禄バブル」と言われる好景気でした。それは現代にすれば戦後の高度経済成長期と合致します。元禄バブル後、長きにわたって続いたデフレもまた、今の経済に通じるものがあります。

2015年には、日本の人口は減少傾向になりましたが、江戸時代もまた享保年間あたりで人口停滞期を迎えました。江戸では男が女の2倍人口があり、男余り現象であったことも今とそっくりです(現在、未婚男女人口差は300万人の男余り)。

それだけではありません。江戸時代に花咲いた市場の大半は、享保から天保にかけての時代に集中して誕生しています。現代のアニメや漫画に当たる「浮世絵」や「黄表紙」などの出版市場はまさにそうで、シェアリングエコノミーもアイドル商法ですら江戸時代から存在していました(『独身が5割超、江戸男子に学ぶシングルライフ』参照)。

その中でも、最も栄えたのが食産業です。もともと江戸時代初期まで、武士も庶民も外食という習慣は存在しませんでした。食事とは家でするものだったのです。当然、江戸の町にも食材屋はあっても飲食店というものはありませんでした。飲食店ができたきっかけは、前述した明暦の大火以降と言われます。

明暦の大火で江戸の町は3分の2が焼失、10万人以上の死者を出しました。その復旧作業のために、諸国から職人が集結しましたが、そのほとんどはソロの男性です。彼らは肉体労働者であり、食欲も旺盛です。さりとて、自炊する能力もありません。そんな彼らの需要と胃袋を満たすために、おふくろの味としての惣菜を売る「煮売り屋」ができました。この「煮売り屋」は大繁盛し、やがて「居酒屋」へと発展していきます。

居酒屋はもともと酒屋だった

居酒屋は当初、酒を売る酒屋でした。酒屋で酒を買ったせっかちな男たちが、そのまま店先で飲み始めたことから、つまみのサービスが始まり、そこから「酒屋に居たまま飲む」という意味の居酒屋業態が生まれたのです。今でいえば、コンビニで缶ビールと惣菜を買って、そのままイートインで食するようなものでしょう。当時から、江戸のソロ男たちはソロ飯スタイルをとっていたのです。

ちなみに、当時の居酒屋の店員はほとんど男性で、客もまたほぼ男性。グループ客だけではなく、1人で酒を飲むソロ酒客も多かったようです。料金は、安い酒ならば1合8文(200円)程度から飲めたので非常にリーズナブルです。現代、下町界隈には1000円でベロベロに酔っぱらえるまで飲める立ち飲み屋を「センベロ」と言いますが、当時の居酒屋もそうした庶民の味方でした。

当時、長屋に住むソロ男たちは、自炊はほぼしないため、そもそも鍋や調味料などの料理に必要な道具を持っていませんでした。それも火事の多かった江戸ならではのリスク回避です。モノを所有したとしても、火事で焼けたら終わりだからです。

とはいえ、彼らが外食だけだったわけではない。家で米を炊くこともありました。おかずは煮売り屋から惣菜を買ってきたり、「棒手振り(ぼてふり)」という行商から買ったりしていました。


橋の上を往来するたくさんの棒手振りたち(絵:歌川広重「東海道―五十三次日本橋」メトロポリタン美術館所蔵)

棒手振りとは、天秤棒に荷をかついで売り歩く行商人です。野菜や魚、貝類、豆腐や納豆、みそ・しょうゆ・塩などの調味料、のり、漬物、ゆで卵、焼きトウモロコシなどバラエティー豊かな棒手振りが町中を闊歩していました。

江戸だけに見られたものとして、茶飯売りというものがあり、しょうゆ飯やあんかけ豆腐、けんちん汁などの食事そのものを売る棒手振りも存在しましたし、アメ、ようかん、カリントウ、お汁粉などといったデザート売りもいました。

食だけではなく、薬、おけ、ほうき、苗木、花、金魚、鈴虫まで売られていました。1659年の幕府の調査で、棒手振りは江戸北部だけで5900人、50業種もあったそうです。まさに、今でいう宅配サービスであり、Uber Eats(ウーバーイーツ)のようなものです。

江戸の町はコンビニ・タウンだった

杉浦日向子氏の「一日江戸人」には、幕末に日本に来た外国人が、「一歩も戸外に出ることなく、いっさいの買い物の用を足すことができる」と驚いたという記述がありますが、まさにそのとおりで、江戸の町は大きなコンビニ・タウンであり、多くのソロ生活者で成り立っていたソロ活経済圏だったと言えます。

とかく、昔の日本人は集団主義で、家や組織の共同体の原理に従い、個人としての主張を差し控える民族であると思われがちですが、そうでもないのです。江戸期、一部の上級武士や高級商人を除けば、「家」の意識より「個人」の意識が強かったと言えます。もともと江戸という町自体が、家を飛び出して個人が個人として集まった町でもあるわけです。

一人暮らしも多いし、結婚しても離婚も多かった。ソロ飯は当たり前だし、個人として経済的に自立するために、それぞれが起業しました。出版や芝居など娯楽産業が栄え、祭りがエンターテインメント化し、ときにはコスプレまでして、お伊勢参りなど旅や観光も盛んでした。

今で言う「ぐるなび」のような飲食店のランキングなどもありました。そんな情報インフラが栄えたのも、個人として生きていくために必要な機能だったからです。

つまり、これから日本が迎えるだろう人口停滞期とソロ経済社会というものは、すでに一度江戸時代に経験している社会でもあり、もしかすると日本人としての原型なのかもしれません。1人で暮らす人たちが多い社会だからこそ、個人単位で人とつながる意識を大事にする。そこにこそ、これから訪れるソロエコノミー時代を生き抜くヒントがあるのでは?と考えます。

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