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30歳「地方で薄給だった」彼女が上京で開いた道


30歳とお金のリアル、いよいよ最終回です(筆者撮影)

一般的に30歳は節目の年と言われている。今の30歳は1988年、1989年生まれ。景気のいい時代を知らない現在の30歳は、お金に関してどんな価値観を抱いているのか。大成功した著名な人ばかり注目されがちだが、等身大の人にこそ共感が集まる時代でもある。30歳とお金の向き合い方について洗い出す連載、いよいよ最終回。

低所得の家庭で育つ

この日、転職してまだ2日目だと語った咲希さん(仮名)。素朴で純粋そうな印象の女性だ。先日まで2年勤めた別の会社の事務職は年収310万円だったが、入ったばかりの今の会社の仕事では年収が350万円にまでアップするという。

咲希さんは北海道出身で妹が1人いる。父は運送会社で働き、母はパートをしていたが、家計は火の車だった。

「小さい頃は『ご飯が食べられればいい』というくらいの低所得。お菓子やジュースは誕生日など、何か特別な日にしか口にできませんでした。中学の頃は月1000円のお小遣いはもらえていましたが、漫画を買う程度でした。お金がなかったし、そもそも群れている女子が苦手だったので、高校の頃は修学旅行にも行きませんでした」


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貧困にあえぐなか、母は新興宗教にすがるようになった。中学の頃は咲希さんも一緒に宗教活動の手伝いをさせられていたため、部活にも入れず帰宅部に。熱心に活動する母の言うことに、ただただ従うしかなかった。また、私立高校へ進学する余裕がないため、公立高校の受験に向けて勉強にも力を入れ、無事志望校に合格した。

高校入学後はさすがに母親の宗教の手伝いから離れてアルバイトをしようとしたが、咲希さんには吃音があってうまく話せず、ことごとく面接に落ちてしまった。しかし、インタビュー中、咲希さんの吃音が気になることはなかった。バイトはできなかったが、毎月のお小遣いが3000円にまでアップした。友達とゲームセンターで遊ぶこともあったが、家の門限が17時だったため、あまり長くは遊べなかった。

「高校は進学する人と就職する人、半々くらいでした。進学する気はなかったし、とくにやりたい仕事もなかったのですが、とりあえず就活をして、地元のデパートの内定が出ました。でも、正社員ではなく契約社員でボーナスもなし。初任給は手取りで月12万円でした」

月12万円という数字に愕然としたが、地方なのでこの給与でも生活していけるらしい。確かに筆者の地元でも、手取りが月12万〜13万円の会社員は多い。しかし、その分家賃も安く、家賃3万円も出せばそれなりの部屋に住める。

1年目は実家から通って毎月家に2万〜3万円入れ、翌年から一人暮らしを始めた。両親の仲が悪く、とにかく家を出たかったからだ。親には一人暮らしを反対されたため、半ば強引に出て行った。そして、ワンルームロフト付きで2万5000円の部屋を借り、一人暮らしを開始した。休日は当時付き合っていた彼とデートをして過ごした。

転職で思い切って上京

それなりに楽しい社会人生活を送っていたが、3年ほど勤めたときシフトを減らされ、残業代も未払いとなり、月の手取りが10万円を切ってしまった。いくら地方で家賃が安いとは言え、さすがにこの収入では生活できない。退職して職業訓練校に通い、ITに関する勉強をした後、東京でITエンジニアの仕事を見つけた。上京の引っ越し費用をすべて会社が負担してくれるというので、思い切って上京することにした。交際中だった彼も数カ月後、東京で就職したので同棲を始めた。

「でも、東京での生活に慣れるのは大変でした。満員電車での通勤も苦痛だったし、職業訓練校ではざっくりと基礎の部分しかITの勉強をしていなかったので、まったく使い物にならなくて……。手取りは18万円で家賃は8万5000円。家賃は彼と折半しました」

エンジニアの仕事が合わなかったのと、生活をしていくことに必死で、ストレスから体調を崩してしまった咲希さん。1年で退職し、事務系の仕事に転職。顧客情報の入力が主な仕事で、エンジニアよりかは向いている仕事だと感じた。手取りも月24万円にアップした。そして、同棲していた彼も給与が上がったので、家賃は彼のほうが多めに払ってくれるようになった。

「でも、28歳の頃、彼と別れてしまいました。エンジニア時代、体調を崩して寝込んでいたとき、支えてはくれたんですが、なかなか回復しなかったのが彼にとって負担だったみたいで、そこから少しずつ関係が悪くなっていきました。『死ね!』と暴言を吐かれたこともあって。そして、彼が浮気をしてしまって完全に終わりました。私が部屋を出ていく形で、家具や電化製品は半分ずつ分けました」

貯金は30万円。もっと貯めたい

彼と別れてからは8万5000円の部屋で一人暮らしを開始。ところが、時代がペーパーレスに突入し、それまで咲希さんの仕事だった紙ベースの仕事がなくなっていった。やることがなくなり、転職せざるをえない状況になってしまった。3度目の転職でも事務職を選んだ。

「ただ、この会社も1年半ほどで退職しました。ボーナスが出て収入的には安定していました。でも、他部署から来た人がパソコンをうまく使えず、私が勉強会を開くことになってしまって……。パソコンの使い方を教える仕事がしたいわけじゃないので、また転職することにしました」

そして今、総務の仕事に転職して2日目という状態だ。派遣社員だが、月収28万〜30万ほどもらえる予定だという。

転職の多い咲希さん。地方から上京してきて、身近に友達はいるのだろうかと思ったが、下町の飲み屋に行くと気軽に話しかけてくれる人がいて、友達はできたそうだ。また、お酒も大量に飲むわけではなく、ごちそうしてくれる人もいるため、飲み代もそれほどかかっていない。

「あまりお金、使っていないんです。化粧品も服も、最低限のものでじゅうぶん。マツエクやネイルも3カ月に1度行ければいいという感じ。メンテナンスが面倒くさいし、飽きっぽい性格なので。

最近のマイブームは着物ですが、高くても1万円ほどの着物しか買いません。安いものだと3000円からあるし。でも、貯金は30万円ほどしかないので、今後もっと貯めていきたいです。もし、お金が貯まったら海外旅行に行ってみたいです。今はまず、新しい仕事を覚えて落ち着きたいです。彼氏がいた頃は結婚する予定だったけど、今は結婚願望がないです」

終始淡々と語っていた咲希さん。地方での生きづらさと東京での生きづらさ、両方を体験している。ときどき地元に帰って妹や友達に会うことはあるが、親とは折り合いが悪いため、上京以来一度も会っていない。咲希さんは今後も東京で暮らし続けたいという。

彼女はエンジニア時代、体を壊している。東京で1人で生きていくことは時として試練や挫折もある。少し自信のなさそうな雰囲気を醸し出していた咲希さんだったが、芯はとても強い女性であることを感じ取れた。

そして、彼女のような女性が都会にはたくさんいて、それぞれみんな葛藤を抱えていることが推測される。得られる収入も生活の仕方も価値観も、地方と東京はまったく異なる。私も含め、地方出身者は都会で心をすり減らすことに慣れ、生き残るための知恵を身に付けられた人は適応して生きていくのだ。

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