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派遣社員ブームに乗せられた40代の苦境「時給2500円だったのが1100円に…」

※画像はイメージです(以下同)

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「昔は『ハケンの品格』なんてドラマもありましたよね。ほんの一瞬ですが、ハケンっていいかもって思えた時期もあったんですよ」

 日曜日の昼下がり、人気のないオフィス街の公園にいたのは大手企業に派遣され、SEとして働く文倉さん(仮名・40代)だ。夜勤明けの重たい瞼をこすりつつ、“ストロング酎ハイ”をチビチビ飲みながら「ハケンが輝いていた」という時代を懐かしむ。

 今、“派遣社員”と聞けば、「将来性がない」「給料が安い」などとネガティブなイメージをもつ人が多いかもしれない。だが、10年以上前、たしかに世間が彼らのような派遣社員を後押しした時代もあった。当時、派遣社員だった人たちは、「ハケンっていいかも」「別にハケンのままでもいいんだ」と自分に言い聞かせることができたのだ。そんな人たちの現在は……。

◆手取り20万以下から40万近くへ

「もともと印刷屋でデザイナーをやっていたんですが、2001年にアメリカで起きた『911テロ』以降の不景気で、給料も手取り20万いくかというヒドい状況で仕事をしていました。そしたら、2005年頃に会社がついに倒産。社長が面倒見のいい昔気質のおじさんだったから『全員の就職の世話をする!』と言ってくれて。でもまあ、結局いい働き口などなく、紹介されるがままに派遣会社に登録したんです。

 パソコンが使えるなら経験不要--ということで、最初に派遣されたのが大手通信系企業の子会社でした。SEの知識はゼロでしたが、文字通り社員さんが一から教えてくれて、時給は2500円。毎日残業が必ず2時間ほどあるので、月に40万円近くもらえることもあったんです。それで、これはすごい! と思った」(文倉さん)

 デザイナー時代は手取り十数万、ボーナスなしで残業の雨嵐という会社で働いていた文倉さんにとって、派遣社員はまさに天国だった。

 時は2007年。テレビではちょうど『ハケンの品格』(日本テレビ)なるドラマの放送も始まっていた。派遣社員の敏腕女性が、日本社会の古い慣習に捉われることなく、プロフェッショナルとして仕事をバリバリこなし、内外で認められていく……。

 派遣法の改正もあり、派遣社員の数は急増。政府が「自由な働き方ができる」などと説明すれば、「派遣で働く」という選択肢は、これまでにない全く新しい働き方かもしれない、こう思った人も少なくなかったのである。もちろん当時、野党からは「派遣などといって、経営者側に都合のよい奴隷契約」などという指摘もあった。一部マスコミも派遣法改正について否定的な報道をしたが、実際に派遣として働いていた人々にとっては「給料もそこそこもらえるし……」という感覚があったのだ。

◆あれから10年以上、現在も派遣社員のまま…

 順風満帆に思えたが、数年後に現実を知ることになる。

「自分が“ハケン”であることをいつの間にか忘れていたんです。30代に突入し、永遠に続くと思っていた派遣先との契約が切られたんです。いや、その時も特に危機感は持ちませんでした。同じような条件で働けるところはいくらでもあるだろう、ってくらいで」(同上)

 好条件の次の派遣先が見つかるまで……と、軽い気持ちで工場内軽作業のバイトなどをこなしながらやり繰りしていたが、待てど暮らせど、前派遣先のような好条件の職場は見つからなかった。というよりも、所属する派遣会社からはあからさまに年齢のことを指摘され、「若い人じゃないと派遣先が受け入れてくれない」と切り捨てられた。

 紹介されるのは時給1500円程度の派遣先ばかり。残業も見込めず、これでは極貧の印刷会社社員時代に戻ってしまう。ただ、そう気がついた時には、時すでに遅し。30代半ばを迎える頃には、より高度な技術を持っているか、せめて20代の若者でないと採用しない、という企業ばかりになってしまい、文倉さんは「あぶれて」しまったのだ。
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