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「戦車の母国」イギリスになぜ「史上最悪の戦車」ができたのか 試行錯誤の証とは?

イギリスは「戦車の母国」というだけあり、目指したものは理解できても、なぜそうなってしまったのかという失敗作も多数。「大英帝国の暗黒面」とも称される、試行錯誤の歴史を紐解きます。

母国ゆえの、失敗の数々

 イギリスは「戦車の母国」といわれます。第1次世界大戦中の1916(大正5)年9月、フランス北部で繰り広げられた「ソンムの戦い」において、初めてイギリス製戦車が実戦デビューしてのち、「戦車」という兵器はイギリスはじめ各国で、試行錯誤が繰り返されながら進化を続けます。

 しかし母国たるイギリスにおいても、当然ながら試行錯誤のなかでは、少なくない数の失敗作、駄作も生まれました。


2019年現在の、イギリス軍の主力戦車「チャレンジャー2」(画像:イギリス国防省)。

 まずは、とにかく長い車体が特長の「TOG2」です。なぜそのように車体を長くしたかというと、第1次世界大戦は塹壕戦だったため、次の大戦もきっと同じような戦いになるに違いないと考えたからでした。

 塹壕の幅が広いと、車体長の短い戦車では渡れません。また無理に渡ろうとすれば、塹壕に落ちてしまって行動不能になりかねないのです。敵の対戦車砲や機関銃をものともせずに進み、幾重にも掘られた塹壕を超えて敵陣まで行き、敵陣の至近で占領するための歩兵を降ろす――このようなコンセプトで開発されたため、全長は10.13m、重量は約81tにも達しました。この数字は当時、イギリスにて量産が開始されたばかりの「バレンタイン歩兵戦車」(全長5.4m、16t)や「巡航戦車Mk.IV」(全長6.02m、15t)の倍近くの長さになり、重さに至っては実に5倍以上、重装甲ゆえの鈍重さで知られるドイツの重戦車「キングタイガー(ティーガーII)」の70tを上回ります。TOG2はキングタイガー以上に鈍重で、最高速度は13km/h(整地)しか出ませんでした。


イギリス戦車史上いちばん重い81tもあるTOG2(月刊PANZER編集部撮影)。

TOG2の最高速度はジョギング並みのわずか13km/h(月刊PANZER編集部撮影)。

キングタイガー(ティーガーII)重戦車(画像:アメリカ陸軍)。

 TOG2が計画されたのは第2次世界大戦が始まった後の、1940(昭和15)年のことでしたが、ドイツによる戦車と急降下爆撃機をメインとしたスピード重視の「電撃戦」戦法が白日のものとなった後も開発は続き、試作車ができあがったのは翌1941(昭和16)年になってからでした。すでに独ソ戦が始まる直前です。しかも、本車の開発改修はなんと1943(昭和18)年まで続いたのです。

 結局、そのころには本車のコンセプトは、全く時代にそぐわないものとなっていました。

 ちなみに、本車を開発する前に「TOG1」という前モデルも試作していました。その改良型だからTOG2なのです。

防御力最優先を具現化した「トータス」

 このようにTOG2は、第2次世界大戦中盤には完全に時代遅れのものとなっていましたが、やがて連合軍が反攻を開始し、ドイツの強固な要塞陣地を突破して進撃する必要に迫られると、同じような防御力最強の重戦車が計画されるようになりました。それが「トータス」です。


トータスはTOG2と違い制式化されたが、生産数はわずか6両のみ(月刊PANZER編集部撮影)。

トータス重戦車の装甲厚は最大224mm(月刊PANZER編集部撮影)。

 計画は1943(昭和18)年春から始まり、1944(昭和19)年初頭には設計が完了しました。防御力を徹底的に高めるために砲塔はなくし、車体前面は継ぎ目のない一体構造となっていました。また主砲には、当時最強とうたわれたドイツのキングタイガーも撃破できるよう、そのキングタイガーの88mm砲よりも威力の高い、高射砲改造の長砲身32ポンド(94mm)砲が搭載されました。

 しかし、重武装・重装甲に過ぎて、車体は全長10m、重量79tの巨体となり、そもそも最前線にどうやって運ぶのか、その重量に耐えられる港湾のクレーンや運搬用トレーラーを選ばなければならないほどだったのです。

 ちなみに、戦力化を急ぐために試作車を製作せず、いきなり量産に入る方法が採られましたが、当然、製造には時間がかかり、陸軍からは25両の生産命令が出たものの、大戦終結の1945(昭和20)年までに6両が完成しただけでした。

 結局、第2次世界大戦には間に合わず、その後、各種テストが繰り返されましたが、現代戦には適応しないと判断されてしまいました。

英国史上最悪と呼ばれた戦車、「ヴァリアント」

 それでもイギリスには、当のイギリス人自身が「最悪の戦車」と形容する車両が存在します。それがトータスと同時期に開発された「ヴァリアント」です。


外観はオーソドックスなヴァリアント。本車のネックはエンジンと操縦席(月刊PANZER編集部撮影)。

 一見すると、上述したTOG2やトータスよりも戦車らしい形をしています。車体も全長5.4m、重量27tでそれほど大きくありません。なおかつ、重量40tの戦車と同等の重装甲を実現しました。それでは本車の何が駄目だったのでしょう。

 それはあまりにも非力なエンジンと、戦車を開発したことのないメーカーが設計を担ったことでした。

 まず、エンジンはわずか210馬力しか出せず、これにより最大速度はわずか19km/hでした。一概には比べられませんが、現代では、たとえば4tクラスのトラックのエンジンと同じくらいの出力といえるでしょうか。

 しかも外観からは分からないのですが、操縦席のレイアウトが最悪で、操作し難いうえに、操作用レバーとフットブレーキが非常に重いため、最初のテスト走行では路上を約20km走っただけで操縦手が匙を投げたほどだったのです。

 結局、開発は試作車1両のみで中止となり、現在、保管展示されているボービントン戦車博物館の案内板には「One of the worst tanks ever built(いままで作られたなかで最悪の戦車)」と紹介されているほどです。

軍艦並みの大口径を搭載 火力偏重の極地、FV4005

 ここまでは、ともかく防御力最優先の戦車を見てきましたが、イギリスは攻撃力最強の戦車(正確には対戦車を想定した駆逐戦車)も開発しています。

 第2次世界大戦後、今度は米ソを筆頭とした東西冷戦の時代へと突入しました。イギリスはアメリカを盟主とする資本主義陣営(いわゆる西側)にいたので、イギリス軍戦車部隊の仮想敵はソ連戦車であり、そのなかでも最も強力なIS-3重戦車などを撃破できる駆逐戦車として、1950年代に開発されたのが「FV4005」でした。

 一見してわかるのが、その巨大な主砲です。なんと口径は183mmもあり、これは戦車砲(対戦車砲含む)としては最大口径のものです。

 ただし、そこまで大口径のために砲弾の人力装填が不可能で、そのため砲塔内部に補助装填装置が装備され、装填手も2名必要でした。

 しかも、あまりにも砲塔が大型化したため、重量を軽減するために砲塔の装甲厚はわずか14mmしかありませんでした。これは戦前の九五式軽戦車(日本)やII号戦車(ドイツ)の正面装甲に匹敵する薄さで、12.7mm重機関銃であれば貫通してしまうほどであり、戦車砲や装甲車の機関砲にも、もちろん耐えられません。しかも、砲塔の旋回は左右90度までに限定されました。

 車体は当時、イギリス陸軍の主力だった「センチュリオン」戦車を流用し、そこに防御力を犠牲にした大型砲塔を組み合わせたことで、重量は50tに抑え、最大速度は30km/hを確保していました。

 しかし、やはり極端すぎたため、1957(昭和32)年8月に開発は中止され、試作車1両のみで終わったのです。


車体に対して砲塔が極端に大きなFV4005(月刊PANZER編集部撮影)。

FV4005は戦車砲としては史上最大口径の183mm砲を搭載する(月刊PANZER編集部撮影)。

FV4005の砲塔後部には砲弾装填用の大型ハッチが設けられている(月刊PANZER編集部撮影)。

 これまで挙げてきた失敗作たちは、イギリスの戦車開発の技術資料として、現在も同国にあるボービントン戦車博物館に保管・展示されています。当然、イギリスは常に失敗していたわけではなく、「クロムウェル」や「センチュリオン」、そして「チャレンジャー」といった名戦車も開発しています。

「失敗は成功の母」といいます。失敗から学べることは多い訳ですから、もしかするとこれら失敗戦車をあえて残すことで、イギリスは教訓そのものをいまに伝えているのかもしれません。

 イギリス旅行の際はボービントン博物館に行って、これら異形戦車を眺めてみるのも、人生にとってプラスになるかもしれませんよ。

【写真】「史上最悪の戦車のひとつ」ヴァリアント戦車の説明


ヴァリアントの説明板。冒頭に「One of the worst tanks ever built」と記されている(月刊PANZER編集部撮影)。

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