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赤羽はいつから「一番住みやすい街」になった? ポスト吉祥寺の座を狙う街には「弱点」も

 東京23区北部で鉄道路線が集まるまちのひとつ、赤羽。いまこのまちが「住みやすい街」として注目されている。

【写真】赤羽の街の写真を見る(全13枚)

  昨年12月12日に住宅ローン専門金融機関のアルヒ株式会社から発表された「本当に住みやすい街大賞2019」では第1位になった。 この「本当に住みやすい街大賞2019」の選定はアルヒの住宅ローン利用者の融資実行件数を利用している。町名単位で集計したデータを基に基準を設け、専門家が参画する委員会の審査の下で決めているという。

 赤羽は「住環境」、「交通の利便性」、「教育・文化環境」、「コストパフォーマンス」、「発展性」の5つの基準のうち、将来的な「街としての価値の向上」が見込める「発展性」が最高得点の5点と高い評価を受けた。また「住環境」も2017年に行われた前回審査から1.2ポイント(最高5ポイント)も上昇し、4.8点になっていることも注目に値する。

 赤羽にいま何が起こっているのだろうか。実際にまちを歩いて探ってみた。


夜の飲み屋街も人気の赤羽。「住みやすい街」になった理由とは?

交通アクセスが良く、駅ナカも充実のJR赤羽駅

 赤羽の玄関口、JR赤羽駅は5路線が乗り入れ、1日の乗車人員は約9万5千人となっている。同じくらいの乗車人員の駅としては浦和駅・大森駅・三鷹駅が挙げられるが、赤羽駅は特に利便性が高く「本当に住みやすい街大賞2019」でも「交通の利便性」が4.9点となっている。

 どれほど便利かというと、表の通り、横浜や吉祥寺など「住みたい街」として人気の街に比べても圧倒的に短時間で都心の6大ターミナルにたどり着くことができる。

 更に駅ナカには2011年に開業した「エキュート赤羽」があり、飲食店や惣菜店を中心に50店舗が入居しており、駅の中でも色々な買い物が可能だ。

 また高架下にもショッピングセンター「ビーンズ赤羽」がある。元々「アルカード」として1990年にオープンしたもので、スポーツ用品店やペット用品店をはじめ生活に便利な店が揃っており、多くの人が行き交う。

赤羽駅西側では「団地の再開発」が進む

 街としての赤羽の印象はJRの高架を境に西と東で大きく異なる。まず、西口から見ていくと、駅前には1983年から1996年にかけて行われた赤羽駅西口地区の再開発で生まれた「パルロード赤羽」があり、3棟の大型建築物が並ぶ。うち1棟は「ビビオ」と名付けられたショッピングセンターでユニクロやABCマートをはじめとしたテナントが入り、別の1棟は「イトーヨーカドー赤羽店」となっている。

「ビビオ」と「イトーヨーカドー」の間を抜けていくと目の前に丘があり、その上には団地が建ち並んでいる。ここはURの赤羽台団地だ。都市型のモデルとなる団地として1959年に建設が始まり、3373戸のマンモス団地として造成された。単身から大家族まで対応できるよう様々な間取りの部屋がある都市居住の新しいモデルを目指した団地となっていく。そして2000年からは団地の老朽化に伴い、建て替え計画がスタート。現在は「ヌーヴェル赤羽台」として7棟が立ち、今後も更に建て替えが進んでいく予定だ。

 また、以前中学校だった敷地には2017年に東洋大学赤羽台キャンパスが開設され、情報連携学部の学生がここで学ぶ。このキャンパスでは様々なものがIoT化されており、最先端の技術が詰め込まれたキャンパスとなっている。こうした赤羽台団地の再開発が期待されており、冒頭のランキングに大きな影響を与えたとされる。

歓楽街と大型スーパーが目立つ東側

 さて、今度は駅の東側に目を移してみよう。まず目立つのは駅北東にある「一番街」だ。ここには飲み屋が多く建ち並び、いわゆる「せんべろ」の店もある歓楽街となっている。このため、赤羽の男性人気は高い。帰りに一杯飲んで帰れる店がたくさんあるのは赤羽の魅力となっている。

 そして駅前の道を東に行けばアーケードの商店街「LaLaガーデン 赤羽スズラン通り商店街」がある。1997年に設置された長さ300mほどのアーケードが特徴的な商店街で、中には5階建てのダイソーや奥には「ダイエー赤羽店・イオンフードスタイル」がある。元となったダイエー赤羽店は1969年の開業だ。その際、1966年に赤羽に進出していた西友と激戦を繰り広げたと言われ、現在も両ブランド共に赤羽の地に店舗がある。

 こうして見れば赤羽の強みはこうした駅周辺の商業集積にあることがわかる。西口のイトーヨーカドー、LaLaガーデンの南にある西友も併せると3つも総合スーパーがひしめいている。そして駅西側にある赤羽ビビオをはじめとした再開発地区(パルロード)や駅の北側の高架下に展開する専門店街(ビーンズ)も併せると日用品・食料品の買い物は駅から徒歩5分以内の範囲で済ませることができるうえ、店の選択肢があることもうれしい。

 つまり、交通と買い物の利便性の高さ、そして赤羽台団地の再開発による優良な住宅供給が赤羽の人気を生んでいると言えそうだ。

 そして再開発というと赤羽駅東口でも動きがある。駅前からLaLaガーデンへ向かう道と東本通りとの角の北側にある雑居ビル群の約3000平方メートルが現在再開発予定地として動きを進めているほか、その付近で6000平方メートルの再開発の構想もあるという。この再開発事業で店舗付の高層マンションが生まれる可能性は高い。これも「発展性」のところで評価されたのだろう。

では赤羽はどのようにして発展してきた?

 こうした赤羽の商業集積や飲み屋街の集積はどうして生まれたのだろうか。第二次世界大戦前の歴史と戦後の歴史それぞれがルーツとしてある。

 元々赤羽は明治時代になるまで何もない場所だった。荒川の渡し場があったため、今の赤羽岩淵駅付近の方がはるかに栄えていたのだ。しかし、荒川は度々氾濫し、地域に甚大な被害を与えていた。

 一方、赤羽の西側にある台地は広大な畑作地だった。明治初期の1871年、ここに陸軍が目をつけ、今の桐ヶ丘団地付近に火薬庫を置くことになった。水車を動力にした火薬工場を石神井川沿いに建設しようとしたこと、岩淵地区の河岸から水運を使って火薬を運び出せること、そして周辺に人家が少なく火薬といった危険物を置きやすいことがその理由だ。

 その後、1885年に日本鉄道(1906年に国有化)の赤羽駅が開業し、現在の高崎線にあたる路線と赤羽から品川へ向かう路線が乗り入れた。そして東京都心で東京府庁舎の建て替えや「市区改正」と呼ばれる都市計画進行といった事業に伴い都心の旧大名屋敷を利用していた軍用地は徐々に郊外移転することになった。そこで1887年に近衛工兵中隊と第1師団工兵第1大隊が大手町から、1891年に陸軍被服倉庫が京橋区明石町(現・中央区)や深川区西大工町(現・江東区)から移転してくる。このうち今の赤羽台団地(ヌーヴェル赤羽台)に当たる場所にあったのが被服倉庫で、最終的に1919年には本所区本所横網町(現・墨田区)にあった本廠庁舎も赤羽に移転してきた。これら陸軍の部隊や施設は荒川に近いことや広大な畑があったことから訓練や物資輸送の便が確保できるとして赤羽の地を選んだのだ。

日々の買い物に便利な街になった理由

 軍の施設ができると、今度は軍と取引を持つ工場ができる。明治時代後期から大正時代にかけて行われた荒川放水路開削によって荒川の治水も進んだことで工場・住宅の建設も進んだという側面もあり、1915年には今のスズラン通り商店街のあたりに大きな工場ができ、周辺に商店街が形成されていった。そして徐々に「東京の郊外」として発展していき、1927年には今の北本通りを走る路面電車が現在の赤羽岩淵駅付近まで乗り入れた。こうした街の発展とともに商業も発達し、国鉄の赤羽駅と路面電車の赤羽駅を結ぶ赤羽銀座通りは大いに栄えたという。

 その後第二次世界大戦で赤羽駅東口は空襲の被害に遭う。そして赤羽駅前には東北への玄関口としてヤミ市「復興会商店街」が形成され、広い地域から人々が買い物に来ていたという。この「復興会」はその後「一番街」となる商店街だ。

 そして高度経済成長期へと時代は移っていくわけだが、最も近いターミナル駅である池袋に次々とデパートができ、大商業エリアが形成されていく。王子や十条といった近隣の商業地はこれにより人々が日用品を購入する場所へと変わっていった。それは赤羽も同様で、1966年開業の西友を皮切りに大型スーパーの進出が起こった程度であった。そのため、都心に近いにもかかわらず日々の買い物には非常に便利な場所となっていったのだ。

「住みやすい街」赤羽の「弱さ」とは

 こうした赤羽のまちの形成史はまちの弱さも浮き彫りにする。例えば荒川の洪水がそうだ。大正時代に荒川放水路ができたことで治水面での安全性はかなり確保されているとはいえ、ハザードマップを見れば、荒川氾濫の場合には赤羽駅東口のすぐ近くまで浸水するという。また、古くから市街地が形成され、さらにのちに赤羽の外縁となった岩淵や志茂といったエリアは家賃が安い代わりに地震・洪水時における防災の面で不安が残り、特に北本通りよりも東側には都内でもトップクラスの地震時に地域危険度を持つ場所がある。もし赤羽に家を探す時はこうしたリスクにも気をつけたい。

 また、日用品や食料品の買い物には便利でも、ファッションや雑貨の店には弱い。「本当に住みやすい街大賞2019」の紹介では「NEXT吉祥寺」という文句もあるが、吉祥寺は百貨店や面的な商業集積があり、様々な買い物が済ませられる場所だ。それに対して赤羽の商業模様はほとんど大型スーパー3つ+LaLaガーデンの300m程度のほぼ線的展開しかなく、裏路地に入るとすぐ住宅地になる。店の選択肢は多少あるが、日用品・食料品の域を出ると店の多様性に乏しい。これでは「NEXT吉祥寺」と言うには少し無理があると言わざるを得ない。吉祥寺とはことなり、ちょっとした買い物は池袋・新宿あるいはショッピングモールのある埼玉県川口市に行くこととなる。普段暮らしていてちょっと物足りない部分もでてくるのではないだろうか。

 本当に住みやすいまちというのはランキングが多少の参考にはなっても、実際見てみないとわからないものだ。ぜひ、イメージやランキングで決めつけるわけではなく、実際にまちを歩いて雰囲気を感じたり、「自分がもしも住むならば」というシミュレーションしたりして「自分にとって住みやすいまち」を見つけてみてほしい。

写真=鳴海行人

(鳴海 行人)

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