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処刑されても続く「オウム井上元死刑囚」の再審 なおも戦うワケ

戦いは処刑後もなお続く

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 昨年7月、オウム真理教の教祖である麻原彰晃など、13人の死刑が執行された。教団への強制捜査から23年あまり。日本を覆った衝撃も、執行の日を境に過去の出来事へと変わりゆく。だが井上嘉浩元死刑囚の遺志には、現在の出来事として触れることができる。再審請求という形で。

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 刑事訴訟法では、有罪が確定した本人の死亡後でも、配偶者や両親、子、きょうだいといった遺族のみが、本人のため再審請求を行うことができる。再審開始へのハードルはきわめて高いと感じながらも、訴えを続けるのが伊達俊二弁護士だ。

「昨年7月6日、井上氏の死刑が執行されました。生前の3月14日、本人が再審請求を行い、私が担当しましたが、死刑によって終了決定となりました。しかし、遺族が再審請求を行うことは可能です。私は“これでは井上くんの思いは遂げられない”とご両親を説得し、ご両親を申立人として昨年10月15日に再度、再審請求を提出しました」

戦いは処刑後もなお続く

 その再審請求も、引き続き、伊達弁護士ら本人のときと同じ弁護人が代理人をつとめている。が、誤解を恐れずに言えば、国民の大半は執行でひと区切り、と見ているであろう。そんななか、なぜ戦うのか。

「井上氏は生前、“自分は、死刑に処されるかもしれないことは覚悟している。死刑を免れたいがためだけに再審請求をするのではない。間違った事実認定で死刑判決が確定しているから行うのです”と話していました。私も、死刑引き延ばしの目的では引き受けないと言い続けていた。井上氏が死刑となる過程で、明らかにおかしい事実認定があるので、それを詳らかにするため引き受けたのです」

発信記録の開示

 伊達弁護士が続ける。

「井上氏は、13人いたオウム事件の死刑囚のうちで唯一、一審では無期懲役だったのに、二審で死刑という異なった判決を受けています。地下鉄サリン事件と假谷さん事件が大きなポイントですが、假谷さん事件で、一審では“逮捕監禁”に留まるとされたのに、二審では“逮捕監禁致死”でした」

 地下鉄サリン事件に関する詳細は割愛するが、地下鉄サリン事件と假谷さん事件それぞれで罪が格上げされた結果、死刑となった。再審請求の“眼目”は假谷さん事件の事実認定だ。

「上九一色村で假谷さんを拉致していた中川智正元死刑囚は、“井上に電話をかけに行ったのは午前10時45分から11時ごろ。目を離したこの15分ほどの間に假谷さんが死亡していた”と証言しています」

 対する井上証言は“電話があったのは午前8時台”。

「中川証言のように、東京にいた井上氏が11時前に電話を受け、車で上九一色村に向かったとします。となると、いたことが証明されている時間、14時30分ころの到着は到底不可能です。当日は未明からの大雪で首都圏の道路交通網は混乱していたのですから」

 中川元死刑囚はなんらかの理由で電話の時間を誤魔化していたことになる。これらの矛盾を突きつけ、生前の井上元死刑囚と伊達弁護士は再審請求を申し立てた。そして、“逮捕監禁致死”とされた判決を覆すはずの井上元死刑囚の携帯電話の発信記録が、昨年7月下旬までには開示されることになっていたのである。だがそれを待たず、死刑は執行された――。

『オウム死刑囚 魂の遍歴』の著書があるノンフィクション作家の門田隆将氏はこう語る。

「検察による新証拠の開示が決定し、次回の進行協議の期日まで決まっていたのに問答無用で死刑を執行したことに呆れました。執行の日、上川陽子法相は、“鏡を磨いて、磨いて、磨き切る心構えで、慎重な上に慎重を重ねて執行を命令した”と発言しましたが、実態はまったく異なります。法務省は自ら刑事訴訟法を踏みにじったのです」

 両親の再審請求によって、電話の発信記録のみが開示された。いま、次々と中川証言の矛盾が浮き彫りになっているという。

「週刊新潮」2019年2月14日号 掲載

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