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40歳、「裏社会を本で伝える男」の非凡な人生


「犯罪をセンセーショナルなものとしてだけ書いて終わるのではなく、“人間”を掘っていきたい」と話す草下さんが物書きになったきっかけとは?(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第51回。

草下シンヤさん(40歳)は、社会のアンダーグラウンドを鋭く描く、フィクション、ノンフィクション作家である。

『裏のハローワーク』では「夜逃げ屋」「大麻栽培」などの“裏”の仕事のアレコレを綿密な取材を基に紹介している。


漫画『裏のハローワーク』(左)と『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載中の漫画『ハスリンボーイ』(右)(筆者撮影)

現在、『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載中の漫画『ハスリンボーイ』は、大学生の主人公が奨学金で背負ってしまう借金を卒業までになくすために「非合法(ハスリン)の道具」を売りさばく話だ。「架空口座」「トバシの携帯」などヤバイ道具が次々に登場する。

そんな、アウトローの世界を取材する人はどんなに恐ろしい人だろう?と覚悟して会いに行ったのだが、実際に現れた草下さんはとても爽やかな好青年だった。

実は、草下さんはフリーランスの作家として作品を出版しているが、それとは別に出版社「彩図社」の一般書籍部の編集長という顔も持っている。

なぜ彼はアンダーグラウンドの世界をテーマに作品を作るようになったのか?

草下さんの歩んだ道筋を、新宿の喫茶店で聞いた。

小学校のときに先生が殺人事件を起こす

草下さんは、昭和53(1978)年静岡県沼津市に生まれた。父親は建設会社で働き、母親は専業主婦の中流家庭だった。


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「小さい頃は落ち着きのない子だったみたいです。幼稚園の授業中に急に外に飛び出しちゃって、1人で砂場で遊んだりしていたらしいです」

幼稚園で「王様の耳はロバの耳」の演劇をしたときから徐々に社会に目覚めはじめ、小学校に入る頃にはごく普通の子どもになっていた。

しかし草下さんが小学校4年生のとき、その後の道を歪めてしまうような事件が起きた。

「小学校4年生のときの担任の先生が殺人をして捕まってしまったんです」

担任は50代の男性教師だった。生徒たちに人気のある先生だった。長年教壇に立ち続けており、草下さんの母親も彼の授業を受けたという。

「伝え聞いたところによると、先生は教え子の母親と不倫をしていたそうです。いろいろあって無理心中をすることになって、相手(教え子の母親)は殺したけれど自分は死にきれなかった……という話らしいです」

テレビ取材もやってきて、小さな町はちょっとしたパニックになった。

朝礼では校長先生が

「マスコミには余計なことを言うな」

と生徒たちににらみを利かせた。

担任がいなくなってしまった草下さんのクラスには、ピンチヒッターの教師がやってきた。しかし学級は崩壊しており、まともな授業にはならなかった。みんなで先生を無視したため、泣き出すこともあった。その先生は学期途中で辞めてしまった。


「大人って信用できないな」って思ってしまいました(筆者撮影)

「親と先生って大人の見本じゃないですか。その先生が人を殺したと聞いて『大人って信用できないな』って思いました。

それから『人間って何か?』『犯罪って何か?』と考えるようになりました。それが自分が今歩いている道につながってるのかな?と感じます」

もともと少し冷めた性格だったが、殺人事件以来もっと冷めてしまった。そんな気持ちのまま、中学校に進学した。

あまり熱心に勉強はしなかったが、成績はよかった。

当時は『湘南爆走族』や『今日から俺は!!』『カメレオン』など不良漫画がはやっていた。草下さんの友達も不良になっていった。

「僕は不良にはならなかったけど、友達はワケありの人が多かったですね。母子家庭だったり、父親が暴力団員だったり、罪を犯してしまった奴もいました。そういう人たちは話していて悲しみがあるんですよ」

(母親がこの時間に出ていくって、どういうことだろう?)

(コイツには父親の話をしちゃいけないんだろうな)

一緒にいて疑問は湧いても、言葉には出さない。何も聞かない。

そんなふうに相手を思いやりながら付き合っていくのが心地よかった。

世の中のルールを自分で変えてみたい

「学外ではそんな友達と遊んでました。それとは反面、『世の中のルールを自分で変えてみたい』という気持ちも湧いてきました。それで、学内では生徒会長になりました」

生徒手帳には、選挙で校則が変えられると書いてあった。だったら変えてみようと思った。

「シャツや靴下のワンポイント柄」を認めさせる提案をし、投票をしたところあっさり校則を変えることができた。

続けて「帰宅時には制服を着用すること」という校則を、ジャージーでも帰宅できるよう提案し変えた。

「校則を変えていくのは楽しかったんですけど、結果的に学校がすごく荒れてしまいました。自分の世代はまだしも後輩の代がひどくて、向かいの高校に火炎瓶を投げ込んだりしてました。バイクで校内を走っていた不良に

『先輩のおかげでこの学校はよくなったよ!!』

って言われて、身をもって多数決の恐ろしさを知りました。勢いでルールを変えるととんでもないことになるんだなって……」

生徒会長以外にも応援団長を務め、それなりに目立つし、面白く過ごしていた。

ただ、将来にやりたいことは特になかった。

「とにかく強制されるのが嫌でした。高校にも行きたくなかったですね」

だが、親からは

「あんたのどうしようもない性格はわかっているけど、高校だけは行ってくれ」

と頼まれ、学校からは

「生徒会長が進学しないなんて前代未聞だ」と責められた。

それでしかたなく、推薦で私立高校に進学することにした。

進学校だったので学内に不良はいなかった。中学時代の反省もあり、学校を変えようというモチベーションも上がらなかった。

「つまらない日々を過ごしていたんですけど、高校1年の2学期、国語の授業で面白い課題が出たんです」

国語の課題がきっかけで文学青年に

国語を担当する60歳くらいの女性教師は、いつもゴスロリ(ゴシック・アンド・ロリータ)のファッションを身にまとう、一風変わった人だった。

その先生が出した課題は

「芥川龍之介の小説『羅生門』の続きを書きましょう」

というものだった。

「それまでの学校で出された課題と違って、『答えがない課題だな』と思って興味が湧きました。やってみようと思いました」

かなり試行錯誤して課題に取り組んだ。文体も芥川龍之介に似せようと工夫した。

そして『羅生門』に原稿用紙5〜6枚を付け加えた。内容は

『老婆の身ぐるみを剥いだ男が、結果的に自分も老婆のような姿に身をやつし羅生門の下でノミ取りをする』

というものだった。

その授業で、先生は草下さんの作品が最もできがよかったと褒めた。

「恥ずかしかったけど、うれしかったんです。みんなを楽しませたいと思って作品を作ったこと、そしてそれを読んで喜んでもらえたことが」

先生と交流するようになり、いろいろな文学を紹介してもらった。

「ロシア文学、ドストエフスキーとか世界観がしっくりきましたね。中原中也や萩原朔太郎、リルケやダゴールといった作家の詩もよく読みました。自分でも作品を書いて先生に見てもらっていました」

学校では文学青年で過ごしていた草下さんだが、中学時代からの不良の友人との縁も切れていなかった。

「友達の父親が潰れた雀荘を持っていて、そこにいろいろな人が集まって毎日麻雀大会が開かれてたんです」

そこには裏社会の人間も数多く集まっていた。若くして麻雀が強い草下さんは、彼らに気に入られた。世の中の裏の話を聞くことができた。

「詩を愛する文学青年」と「夜な夜な雀荘で麻雀を打つ若者」という両面を持って高校時代を過ごした。

半同人誌のようなシステムの本に応募

そのころ、草下さんは『ぶんりき』(彩図社)という本の存在を知った。お金を払うと自分の作品を載せてもらえるという、半同人誌のようなシステムの本だった。

「本の存在を知って興味が湧いて、応募することにしました。中原中也を真似たような詩を書いて送りました」

彩図社の社長から電話があった。

「載せるのは問題ないけど、掲載料がかかる。高校生だけどお金は大丈夫なのか?」

という確認の電話だった。

「麻雀で稼いだお金で掲載しました。恥ずかしいので友達には誰一人言わなかったですね。ただ国語の先生にだけは見せてました」

彩図社では当時、編集部の見学ツアーというのをやっていた。

草下さんは高校2〜3年の時期、年に2回編集部に足を運んだ。

「出版に興味は湧いたんですけど、編集者になろうとは思わなかったですね。作家にはなりたかったけど、具体的には何も考えてなかったです」

高校3年になって

「大学には行かない」

と宣言した。親も諦めていたのか、文句は言わなかった。

「高校を卒業したら、地元で1年間ブラブラしようと思ってたんです。もっと裏社会も見ておきたいなって思いました。物書きになるなら、そういう世界も知っておいたほうがいいので」

深夜のコンビニでバイトしながら、悪友たちと遊んだ。麻雀をしたり、文章を書いたり、中原中也の詩集をポケットに入れて海岸を散歩して、寝転んで読んだりもした。

あっという間に1年が過ぎた。

「裏社会って一般とは違うルールで動いてるんです。弱肉強食。嘘も突き通せば本当になる。つまり裏社会は、どこかで人を傷つけることが平気じゃないとできないところがあるんです。

自分は暴力が嫌いだし、嘘も嫌。適性がないなと思いました」

本格的に物書きになろうと思って東京へ

だったら本格的に物書きになろうと思った。地元の沼津にいると情報も遅いし、友人たちと少し距離もとりたかった。

それで東京に出ることにした。

「親に『大学行く気になったから予備校のお金を出してほしい』って頼むと、喜んで出してくれました。予備校には2週間しか行かなかったですけど(笑)」

せっかく東京に来たのだから、 勝手知ったる彩図社に顔を出した。

「『東京に来たならバイトする?』って言われて『やります!!』って即答しました。それから編集部で働くことになりました」

19歳ではじめて会社で仕事をした。

高校生の頃、応募していた『ぶんりき』の編集作業が中心だった。

「予備校に行ってないことは親にバレちゃいました。彩図社で働いていることを伝えましたけど、怒られなかったですね。なんとなくわかっていたみたいです。厄介払いできてよかったと思っていたかもしれません」

新宿区に安いアパートを借りたが、部屋は三角形だった。そこに布団とテレビデオと電子レンジ、冷蔵庫、本棚があるだけのシンプルな部屋だった。

エアコンが壊れても直さず、部屋でコートを着て過ごしていた。

「自分は全然、物欲がないんですよ。インテリアや衣服にもまったくこだわりがないです。破れたり壊れたりしてはじめて、『新しいの買うか〜』って思う感じです。一応見た目、汚くないようにはしてますけどね」

そんなアパートから、彩図社に通った。

月200時間以上働いた。彩図社の社員よりも多く働いていた。

「元日も編集部で仕事をして過ごしてましたね。仕事が面白くなったので彩図社に就職しました」

ただ『ぶんりき』はビジネスモデルとしては破綻していた。赤字が続き、休刊することになった。彩図社では社長と草下さんと編集者1人、経理担当者を残しほかの社員は全員リストラした。

新体制になってからは、自費出版を受注生産するビジネスをはじめた。

「『40万円であなたの本を作ります』というまずまず良心的な商売でした。1冊作って10万ほど儲かるので、1人が月に3〜4冊作れば黒字になるという感じです。ただ、編集者としてはあまりやることがなくて、面白くないんです」

そんなとき、ある自費出版の依頼が来た。タイトル名は『僕、はまじ』。国民的人気作品『ちびまる子ちゃん』に登場するキャラクターはまじのモデルになった、浜崎憲孝さんが書いた自伝的作品だった。

「これは売れるって思いました。作者と社長に『一般書籍として発売しましょう』と提案してオーケーをもらいました」

さくらももこさんにかけあって、カバーイラストを描いてもらった。発売後は話題になりテレビでも取り上げられた。

「なんと7万部ほど売れました。池袋の書店に平積みになっていて、そこで立ち読みしている人を見て、感動しました」

それまでは小さな出版社が大きな出版社と同じ土俵で戦えるとは思ってもいなかった。

だが、目の前で本が売れていくのを見て、十分戦えるんだと確信した。それから彩図社では自費出版だけではなく、一般書籍を出版するようになった。

「海外のヤバイ話を取り上げた『海外ブラックロード』(嵐よういち著)『アジア「罰当たり」旅行』(丸山ゴンザレス著)など一般の出版社が手を出しづらいアンダーグラウンド、サブカルチャーの書籍を中心に出しました」

本は順調に売れた。1年で8冊制作し、4冊が5万部超えした。しかし本を出すうちに、ネタがなくなっていった。

自身のネタをまとめてエッセイ集に

「そこで僕自身が書籍を書くことにしました。地元で不良たちと遊んでいたときに得たネタをまとめてエッセイ集にしました。

昔から作家にはなりたいと思っていましたけど『ネタがないから自分で書く』なんてなりゆきで夢が実現するとは思ってもいなかったですね(笑)」

草下さんが書いた、違法ドラッグの世界を描く『実録 ドラッグ・リポート』、裏の仕事の手口を丁寧に紹介する『裏のハローワーク』はどちらもとてもよく売れた。

彩図社は、コンビニ流通の窓口をひらくなど販路を拡大していき出版社としての体が整っていった。

「現在彩図社ではさまざまなジャンルの本を出版しています。サブカルチャーの書籍の売り上げも落ちてきていますし、ひとつのテーマに集中していると危険ですからね。出している本はダイエット本やビジネス本などいろいろですが、大事なことはそれぞれの編集者が心から作りたいと思っている本を作ることです。そうでないと、なかなか面白い本は作れません」

草下さん自身は現在もアンダーグラウンドをテーマにした本を出し続けている。

2013年には元暴走族のOBたちが経営する会社を描いた小説『半グレ』を講談社から出版、現在は冒頭でも紹介した『ハスリンボーイ』を『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載している。

「フリーランスとして他社で本を出すこともありますけど、会社には承認を得ています。ただ小説は考えものなんです。小説を書いてると執筆作業にのめりこんじゃうんですよね。それで他の仕事がおろそかになっちゃう。それはよろしくないので、今は小説をがっちり書くというのはやめています」

草下さんの作品は、フィクションにしろ、ノンフィクションにしろ、裏社会で生きる人たちへのしっかりした取材により成り立っている。どのように取材を敢行しているのだろうか?

取材の過程で絶対に守っている3つのこと

「古い友人の知人に話を伺うことが多いですね。取材前に友人からは

『面白いネタ持ってるけど、本当にヤバイから気をつけろよ』

とか言われることもあります。で、行ってみたら案の定ひどい目にあったりします(笑)。後から恐喝まがいのことをされたりね」

そんなときは相手が納得するまで、ひたすらなだめ続けるという。

「『殺すぞ』って恫喝されたりするのは珍しくないのであんまり怖くないんですよ。お約束みたいなところもあるんです。

人と接するときに曖昧な態度をとるのがいちばんよくないです。相手に見返りがあると期待させてしまったりね。最初に『この場の飲み代は払うけど、ギャラは払えない』とはっきり言っておいたほうがいい。そうしたらムッとされるかもしれないけど、深刻なことにはならないことが多いです。

あと、取材の過程で

『金をもらわないこと』

『女を抱かないこと』

『犯罪をしないこと』

この3つは絶対に守らなければいけないですね。道を踏み外さずにすみます」

アンダーグラウンドの取材をしていて、転落してしまう人は少なくない。

草下さんも若い頃は、

「もし自分が道を踏み外したとするならば、殺人をした先生のせいだ。先生のせいで人を信じられなくなった」

と思っていた。事件を都合よく免罪符にしていた。

「事件から十数年経って、彩図社に入って『裏のハローワーク』とか書きはじめたころ、実家に帰ったんです。そこでなんとなく親に事件の話を振ってみました」

草下さんの両親は、事件の顛末を教えてくれた。

先生の奥さんは当時、奔放な性格で遊び回っていたらしい。それがつらくて先生は不倫に及び、事件に至ってしまった。

先生の奥さんは

「自分にも原因があった」

と悩んで、離婚をしなかった。ずっと面会に通ったし、被害者に対し賠償金も払い続けた。そして出所してからも、一緒に暮らしているという。

“人と交流する”ことを心がけている

「その話を聞いてすごいさっぱりした気持ちになりました。事件の後にも、人生は続いてたんだなって。顛末を聞いた後には、先生の起こした事件は『自分が道を踏み外したときの免罪符』にはできなくなりました。

以来、犯罪をセンセーショナルなものとしてだけ書いて終わるのではなく、“人間”を掘っていきたいと思ってます。事件が終わっても人は生き続けますからね。取材するときもいつも“人と交流する”ことを心がけています」

取材対象者の中には刑務所に入ってしまう人も多い。そういう人にはなるべく手紙を書いたり、差し入れをしたりするようにしているという。四国の刑務所まで面会に行ったこともあった。忙しい日常の合間にそのようなことをするのは大変だ。

「確かに大変ですけど、ただただドライに金になる情報だけを取りに行ったら、相手もいい気持ちはしませんよね。

どんな取材対象者に対しても

“人として付き合う”

“友達として会う”

というのはとても大事なんですよ。どんなに怖い取材対象者でも一皮むけば、ただの人間ですからね」

草下さんは血も涙もないアンダーグラウンドの世界を取材しているからこそ、誰よりも友情を大事にし、自らは悪事をしないことを強く心がけていると感じた。

これからも、僕らが普通に生きていては目に映らない、“裏”の世界を取材し描いてほしいと思った。

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