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「本能寺の変」後の柴田勝家の書状見つかる

新潟大学の冨澤信明名誉教授が、「本能寺の変」の8日後に織田信長の重臣・柴田勝家が織田方の武将・溝口半左衛門に宛てた直筆の書状を、新発田市に残る歴史資料の中から発見した。明智光秀の討伐に出遅れた勝家が当時、光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる。NHKニュースが報じた。

書状では、光秀が拠点としていた江州(今の滋賀県)にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣・丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしている。

三重大学の藤田達生教授は「本能寺の変のあとの勝家の情報収集の水準がわかる貴重な記録だ」とし、「なぜ、豊臣秀吉が光秀討伐に素早く動けたのかという点に関心が高まるのではないか」と述べている。

・「本能寺の変」後の柴田勝家直筆の書状見つかる(NHKニュース)

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