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チョーヤが目指す「オンリーワン戦略」の凄み


チョーヤはテレビCMを流し続けている(写真:チョーヤ)

「さ〜らりとした梅酒♪」のCMソングでおなじみのチョーヤ梅酒は、大阪府羽曳野(はびきの)市に本社があります。売上高116億円(2017年12月)、従業員約130人。日本トップの梅酒メーカーです。


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最近、企業の広告活動は多様化し、従来のマスコミ媒体だけでなくインターネット広告など新しい形の情報発信も行われています。特に予算が少ない中小企業では、比較的安価で行えるフェイスブックやツイッターを使ったソーシャルメディアの活用が盛んです。

そんな中、テレビで「The CHOYA ウメッシュ」「酔わないウメッシュ」などのCMを全国規模で流し続けているのがチョーヤ梅酒です。失礼ながら決して大企業とは言えないチョ-ヤさんが、これだけ大規模にCMを流し続けているのはなぜなんだろう、と思っていました。


金銅重弘社長(筆者撮影)

「いや、父親がコマーシャル好きだったんですよ。社長の道楽と言われてました」と笑われるのは、現社長の金銅(こんどう)重弘氏。テレビCMスタート当時は、社内でもその効果を疑問視していたそうです。それでも今日まで一貫してテレビCMを続けてきた理由はどこにあるのでしょうか。その独特の広報戦略について、同社の梅酒製造パイオニアとしての歴史もたどりつつ、探っていきます。

ワインをあきらめて梅酒一本へ

梅酒はかつて、家庭で作る自家製のお酒でした。梅、砂糖、ホワイトリカーと材料も身近にあるものばかり。筆者も幼い頃、台所で1年ほど寝かせた瓶詰めの梅酒を薄めて飲んでいました。梅の風味と独特の甘酸っぱさが癖になり、漬けてあった梅の実を何粒もカリカリと食べたものでした。子どもながらに気持ちよく、ほろ酔い気分になったのを覚えています。

この自家製の梅酒を企業として生産しようと考えたのが、創業者・金銅住太郎氏です。ただ同社はもともと、ワインの製造・販売会社でした。羽曳野近郊は、盆地で気候も温暖、雨量も少なく土地もミネラル豊富でブドウ栽培には好適の土地です。ブドウの栽培からワイン造りをし、恵比須印「生葡萄酒(きぶどうしゅ)」として販売していました。

しかし、1950年、社長勇退を機に住太郎氏がフランスのボルドーに旅行をしたところ、日本のぶどう酒業界の先行きが暗いことに気づきます。現地では、ぶどう酒にはるかに適したブドウが低廉なコストで栽培され、品質、価格、どれをとっても日本のぶどう酒は太刀打ちできません。将来貿易が自由化されれば、海外の良質なぶどう酒が日本市場を席巻するのは目に見えていました。

帰国後、住太郎氏が考えたのが、日本でしか造れないお酒でした。

1. 国内ではあまり手掛けられていない商品であること

2. 海外にはない日本独自の商品で、将来、海外でも勝負できる可能性があること 

3. 突飛なものでなく、身近で親しみやすい商品であること

この3条件に合致したお酒、それが梅酒でした。梅の生産は、質量ともに日本が世界一。また梅酒は300年ほど前の江戸時代の文献(『本朝食鑑』)にその製法が記されているほど、古くから知られています。さらに、近隣の和歌山県は全国一の紀州梅の産地です。梅酒製造こそが天命だと思い、1959年から製造を開始します。

しかし当初は、販売に苦労しました。酒屋に売り込んでも、「そんなもの売れないよ」と門前払い。梅酒は家で作って家で飲むもの、という固定観念があったのです。ようやく店に置いてもらっても、売れ行きは芳しくありません。店頭でほこりを被っている自社商品を拭きに行くのが仕事だった、当時営業で苦労した社員はそう回想します。

会社が潰れるまでCMを打つ

それならば、と次に打った手が、冒頭に述べたテレビCMでした。金銅和夫氏は「やるなら会社が潰れるまでCMをずっと打ち続けよう」と決意します。最初は社名を覚えてもらうよう“蝶”の語呂合わせで漫才のミヤコ蝶々さんを起用しました。


工場内部の様子(写真:チョーヤ)

しかし、残念ながら肝心の売り上げが伸びず、社内からは「また社長の道楽が始まった。もっと儲かる商品の宣伝をすべきでは?」と厳しい声があがります。春、一斉に特売した商品が秋には返品されてきます。そんな厳しい状況を我慢できずに退社する社員も多く、最後には会社と梅酒を信ずる社員だけが残りました。ただそれが逆に、梅酒造りに全社一丸となって邁進する体制につながったと言います。

販売開始から15年、梅酒を取り巻く環境がゆっくりと変わっていきました。都市部へ人口が集中し、核家族化が進みます。家庭で梅酒の作り手だったお祖母ちゃんは別居するのが一般的になりました。手間暇かけて作るより買ったほうが早い、といった消費者意識の変化もあります。1980年ごろから売り上げが伸び始めました。

テレビCMも継続して提供し、梅酒を日本の食卓に届ける努力を続けました。

「テレビCMなどの広告には特に力を入れています。この効果を人で出そうと思えば大変な人数が必要です。私どものような100人そこそこの会社では、CMは『千人力』です」と金銅社長。確かに梅酒は、CMが効果的な商品で、店頭で「CMで見た」として購入する顧客も多いと思います。「ただ値付けが重要です。値引きはしないことが大前提です」とも付け加えられました。

一方で、梅酒の飲み方として「食前酒(アペリティフ)」も提案、日本の食文化に新しい風を吹き込みました。時代の変化や広告宣伝も相まって、一時、同社の販売シェアは国内梅酒シェアの大半を占めたと言います。

苛烈な価格競争に

ただ、こんなおいしい市場、他社が放っておくはずがありません。20年前は30社ほどしかなかった梅酒メーカーは、酒蔵や大手メーカーなどの参入で300社を超えるまでに急増。苛烈な価格競争に巻き込まれます。

同社は昔からの製造法を守り、原材料は梅、糖類、酒類の天然素材のみを使用しています。ところが大容量で低価格の他社製品の中には、酸味料のクエン酸を中心に香料、着色料、そして梅のエキスを少しだけ混ぜたものもあります。本来の梅酒だと原価の7割強が梅ですが、その梅を使わないのだから、いくらでも安く製造できます。気がつけばシェアも往時の3分の1程度にまで落ち込んでいました。

まずは業界として、一定の規格を定める運動を展開しました。和歌山県などの後押しもあって、2015年1月、酒類の業界団体の1つである「日本洋酒酒造組合」が、梅と糖類、酒類だけを原材料とする梅酒を「本格梅酒」と定めてくれました。和歌山県の分析では、酸味料などを加えた梅酒と比べ、「本格梅酒」はポリフェノールやカリウムを多く含む傾向があるとのことです。チョーヤ梅酒の強味は、その製品の9割以上がこの「本格梅酒」に該当することです。

この品質の明確化に加え、並行してチョーヤのよさをもっと伝えていく努力も続けました。創業100周年を2年後に控えた2012年9月から、ブランド再構築の作業が開始されたのです。

チョーヤらしさとは何か。突き詰めればそれは、チョーヤにしかない100年という伝統だ、ということに行き着きました。それを製造工程に落とし込めば、「梅の質」「梅の量」そして「熟成」と「ブレンド技術」ということになります。

チョーヤでは、農家の人々とともに土作りから取り組んだ高品質の紀州産南高梅を中心に100%国産の梅だけを、高さ8m、直径3〜4mの貯蔵タンクに漬け込みます。その期間は長いもので18年に及び、梅の品種、酒の種類もさまざまです。つまり、じっくり「熟成」させた個性の違う梅酒が、約450基のタンクに眠っているわけです。

創業100周年の思いを込めた「The CHOYA」

このタンクごとのデータを分析し、専門家が最適の「ブレンド」を模索します。目指したのは、従来の梅酒が不得手だった「食事に合う梅酒」でした。社内の要求水準が高く、何度も調合を繰り返しますが、満足のいく結果が出ません。結局、当初の完成期限だった100周年の2014年には間に合いませんでした。


こだわり抜いた「The Choya」(写真:チョーヤ)

それでも研究陣は、本当にチョーヤらしい梅酒を求めてさらに努力を続け、ついに2016年3月に「コレだ!」というブランドを生み出します。手間を惜しまず最低3種類以上の原酒をブレンド。熟成期間1年もの、3年ものを用意し「本格梅酒 The CHOYA」として売り出しました。海外への輸出も意識し、ボトルも洋酒感を取り入れた和モダン調に仕上げました。1年熟成ものは口の中に深みのある南高梅の香りが広がり、3年熟成ものはブランデーのようなまろやかな酸味が特徴です。

この新ブランドは、従来、梅酒にあまり関心のなかった若年層にも支持され、会社として大いに手応えを感じました。また「本格梅酒The CHOOYA AGED 3 YEARS」は2016年に、梅酒として世界で初めて、国際的な酒類品評会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)」で金賞受賞の栄誉に輝きました。

熟成3年ものの希望小売価格は2500円(720ml、税抜き)、また熟成1年ものは1000円(同)。発売以来好評で、1年目は予算比200%を達成しました。この新ブランドの貢献もあって、現在のチョーヤの売り上げシェアも順調に回復しています。

新ブランドは海外からも注目を集め、現地代理店の期待も大いに高まっているそうです。そこで昨年後半から香港を皮切りに、台湾、シンガポールでのテレビCMをスタートさせました。「The CHOYA」商品は、この勢いで今年も1.5倍増を見込んでいます。

金銅社長は「日本人が梅酒という言葉を忘れる日を目指したい」と、意外な言葉を口にします。

今や競合他社が300を超えると言われる梅酒業界。その中で勝ち抜くには、チョーヤが梅酒の代名詞になるくらいの頑張りが必要だ、ということです。実際に、輸出先の東南アジアや中国では、梅酒という言葉ではなく「チョーヤ」という名前で通っているそうです。日本でも、店頭で「梅酒をください」ではなく「チョーヤをください」と言ってもらえるようにしたい、との思いからです。

梅酒作りができる体験型店舗をオープン

その思いを実現するため金銅社長が重要視しているのが、「ミレニアル社員」の活性化です。ここで、ミレニアルは千年紀の意味で、主にアメリカで1980年代から2000年代初頭に生まれた世代を言います。インターネット時代の申し子というべき人たちで、同社では20代から30代後半までの社員を意味します。伝統的な産業だからこそ、こうした若手の意見も積極的に取り入れていきたい、と考えているのです。

その1つの表れが、前述の「The CHOYA」ブランドです。開発に携わった主力は、30歳代のミレニアル世代でした。そしてもう1つの新しい動きが、「蝶矢(ちょうや)」という店舗です。京都の中心・錦市場の近くに、梅酒作りができる体験型店舗として、この4月にオープンしました。「これも、30代後半の社員の発案です。彼はこの企画に情熱を燃やし、私が3〜4回稟議を突き返しても、再度提案してきました。ただ、実施するに当たっては実験店舗では駄目だ。店のオーナーとして儲かるビジネスモデルにしなさい、と言いました」(金銅社長)。


京都にある「蝶矢」の外観(写真:チョーヤ)

自分好みの梅酒が作れるということで、梅酒作りを経験したことのない若い世代に大人気。予約は順番待ちという盛況です。


「蝶矢」店内での手作り体験(写真:チョーヤ)

現在のコーポレートスローガン「とどけ、梅のちから。」は、伝統と革新を合言葉に日本の梅を守っていこう、という社長、社員の熱い思いを代弁しています。そしてこのスローガン、専門家のコピーライターなどではなく、社員が考えたものだそうです。熟練社員への感謝とミレニアル世代の積極活用。こうした社員尊重の風土から自然と生まれたスローガンなのです。そして一方で、社員の手が及ばない商品宣伝は、1970年代初めから50年近く続けてきたテレビCMが担っているわけです。

1959年に梅酒造りを始め、1980年代に売れ始めるまで実に20年近くかかりましたが、その苦労が「地道に、コツコツと」というチョーヤの営業風土を培いました。その地道な営業努力で、「The CHOYA」を先頭にした「梅のちから」が、日本のみならず世界の食卓に「とどく」ことを期待しています。

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