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寺院の稚児行列に「人権団体はなぜ抗議行動を起こさない?」

評論家の呉智英氏

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 近年、カトリックの聖職者による性的虐待問題がたびたび大きく報じられている。これはキリスト教固有の問題かというと、そうとも限らない。評論家の呉智英氏が、仏教と性の関わりについて考えた。

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 八月に出た森本あんり『異端の時代』(岩波新書)を読了。三年前の『反知性主義』(新潮選書)も時宜を得た好著だったが、本書もキリスト教史を検証しながら異端・正統を論じ、現在の思想状況を考える視点を提供して興味深い。

 しかし、非キリスト教徒の立場からは首を傾げる記述もある。

「一般に、キリスト教に限らず宗教はみな禁欲的なものだ、と思われている」「特に性に関しては、僧侶の独身制や修道院制度などが目につくためか、厳格で禁欲的な印象を受ける」が「キリスト教に関して言えば」「誤解である」

「聖書は人間の性については一貫して肯定的」だ。「人間がその肉体的な性を含めてすべて神の善なる創造物だ」からだ、と。

 いや、それは夫婦の“健全な性”についてであって、獣姦や同性愛や児童性愛まで「神の善なる創造物」がすることだからといって肯定的なわけではないだろう。

 折しも「カトリック聖職者 性的虐待問題」が大きく報じられている(朝日新聞八月三十日付)。

 記事によると「聖職者による子どもへの性的虐待」が「長年隠蔽された問題」でローマ法王が「批判の矢面に立たされ」、訪れたアイルランドでは抗議デモも起きた。

 この問題は既に二〇〇二年にアメリカでも発覚し、オーストラリアの調査委員会は「カトリック聖職者の独身主義」がその一因と指摘した、とも記事にある。

 この一因は根が深い。ホーソン『緋文字』にも映画になった『薔薇の名前』にも同種の問題が描かれてきた。

 といって、聖職者に“健全な性”を認めてしまうわけにもいくまい。宗教上の戒律やタブーは、世俗の人間から見て何の合理性がなくとも、神の命令だからこそ守らなければならない。まして、“不健全な性”である獣姦、児童性愛、乱交、SMなどは、聖職者であろうとなかろうと許されまい。

 しかし、報道されたような批判や抗議デモがあるだけキリスト教はまともだと言える。日本の仏教界はどうか。

 浄土真宗は別だ。肉食(にくじき)妻帯上等、悪業があればあるほど阿弥陀様が救って下さるというのだから(これ、本当に仏教か)。それ以外の各宗派では、少なくとも僧侶の女色は禁止されている。

 私には不思議でしかたがないことがある。全国の寺院でなにかよいことのように催されている稚児行列だ。日本中の人権団体はなぜ抗議行動を起こさないのだろう。稚児って、児童に対する性的虐待だぜ。

『岩波仏教辞典』の「稚児」の項に、こうある。

「寺院…などに召し使われる少年を指し、これが男色の対象ともなり、近世には〈寺小姓(てらこしょう)〉と呼ばれるものもあった」

 女色は禁止されているけど男色を禁止する明文はないぞ、という言いわけで児童虐待である。上田秋成『青頭巾』に描かれたのは、幼児姦の上に屍体姦だ。確かに、屍体姦禁止も明文化されてないけど。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。

※週刊ポスト2018年10月5日号

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