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マレーシアに逆転負け「本田カンボジア」 それでも川淵三郎が絶賛する理由

本田圭佑選手

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本田カンボジア

 元日本代表・本田圭佑選手が、カンボジア代表の実質的な監督になって最初の試合(対マレーシア戦)が10日行われた。
 前半に先制したものの、後半に3失点で逆転負けと残念ながら、「本田カンボジア」は初戦を飾ることはできなかった。本田監督は、この敗戦について「僕に責任があります」と潔いコメントを残している。

 実際には、格上相手でもあり、結果の評価はわかれるところだろうし、そもそも今回の監督就任についても賛否様々な見方が存在している。ただ、誰もが認めざるをえないのは、本田選手が類まれなチャレンジ精神と行動力を持っているという点だろう。
 川淵三郎氏もまた、本田のそうした資質を高く評価している一人だ。

本田圭佑選手

 川淵氏といえば、Jリーグを発足させ、サッカーを日本でメジャーなスポーツに押し上げた「チェアマン」。チェアマン退任後は日本サッカー協会会長を6年務め、現在も同協会の相談役として日本サッカーに関わってきた。

 その川淵氏が、たとえば新著『黙ってられるか』で、サッカー界の人材について述べ、歴代の監督やキャプテンについて具体的な名前を挙げながら評価している章のなかで、本田選手に対しては別格の評価を与えているのだ。(以下、引用はすべて『黙ってられるか』より)。

「人材という意味で期待しているのが本田圭佑だ。何がいいって、言動が一致しているところが素晴らしい。有言実行で、言い訳もしない。選手としてはいま正念場を迎えているが、ビジネスマンとしての才能にも期待している」

川淵三郎氏

 川淵氏は、本田選手がサッカースクールを運営したり、サッカークラブを経営しているだけでなく、国連財団から「グローバル・アドボケイト・フォー・ユース(青少年の国際支援者)」に任命され、世界の子どもの教育支援を行うといった活動についても、やることのスケールが大きいと高く評価している。

一変した評価

 もっとも、川淵氏の本田選手へのファーストインプレッションは決して良くなかったようだ。
 本田選手は星稜高校卒業後、名古屋グランパスに入り、3年後の2008年にはオランダチームへの移籍を決めている。当時はこんな風に思ったのだという。

組織論、指導者論、W杯の戦い……。忖度、タブー一切なし!渡邉恒雄氏との初対談も特別収録!『黙ってられるか』川淵三郎[著]

「彼がオランダに行くと聞いたときは、すごく不思議だった。なぜあんなに動かない選手がオランダに行けるのか。もちろん、技術力は抜群だったが、2008年の北京オリンピック予選のときも、こんなに走らない選手をなぜ反町監督は使うのかと思っていたほどだ」

 このようにネガティブな意味で本田選手について興味を持った川淵氏は、わざわざユースや高校時代のことを当時のチーム関係者などに取材。そして、昔から「動かない」選手だったという証言もひきだしている。

「ガンバ大阪のジュニアユースチームにいた頃は、もっと動くようにというコーチの指示を全く聞かない選手だったという。動くことを最小限にし、いかに効率よくサッカーができるかを考えていたようだ」

サッカー界に必要な存在

 川淵氏によれば、本田選手が大きく変わったのは、移籍した先のオランダのチームが2部に降格してからだという。

「自分が点をとらないとダメなんだと一念発起して大活躍、1部復帰に貢献し、年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した」

 その後はロシアのチームへ渡り、3年後にはイタリアのACミランへ。日本代表としての活躍はいまやここで繰り返すまでもないだろう。

「本田という選手はきっと、いま自分が何をすべきか、そのためにはどうするかを四六時中考えているのだろう」

「選手として活躍し、それなりに収入が得られるようになっても、それで満足するわけではなく、何がサッカーのためになるのか、何が世の中のためになるのかを考えている。それが彼の行動の根底にあるのではないか」

 このように述べたうえで、日本のサッカー界に本田選手のような人物が出てきたのは本当に喜ばしいことだと語り、最高級の賛辞を送っている。

「将来、本田が日本サッカー協会の会長になったら面白いだろうなと思う。いや、彼はもっとスケールの大きなことを考えているのかもしれない。
 いずれにしろ、本田が引退後もサッカー界に積極的に関与してくれたら、相当なことができるはずだ。日本サッカー界を大きく飛躍させると期待している」

夢物語への挑戦

 今でこそJリーグは「あって当たり前」の存在になっているが、川淵氏がサッカーのプロ化の構想を進めた時には、夢物語にしか思われていなかった。たとえば、『黙ってられるか』ではこんな秘話も公開されている。サッカーのプロ化のための申請書類を各企業に出そうとしていた、まさにその前夜、川淵氏の自宅に一本の電話がかかってきた。相手は当時の読売クラブの理事長だ。

「読売巨人軍だってようやく黒字になったくらいで、他の球団は赤字だ。それなのにサッカーをプロ化して、黒字にできるわけがない。これ以上負担を増やさないでくれ。そんなプロサッカー参加申請書類なんか出すんじゃない」

 そんな抵抗にも遭いながら、挑戦し続けたことでJリーグは発足した。現在のサッカー人気は川淵氏のチャレンジ精神、行動力に負うところが大きいのは間違いない。「サッカーのプロ化なんて夢物語だ。できるわけない」と思う人ばかりだったら、日本が現在のようなワールドカップ常連国になれないままだった可能性は高い。

「選手兼カンボジア代表監督」という本田選手の前人未到の挑戦に、川淵氏はどこか自らの歩みを重ねているのかもしれない。

デイリー新潮編集部

2018年9月19日 掲載

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