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忙しすぎる勤務医夫婦が、保育園に落ちて下した決断 人生を「最適化」するなら、今しかない

人気ドラマ『コウノドリ』はリアルな医療現場と言われていたが、医師たちは全然寝ていなかった……。こちらはヤマハミュージックメディアによる公式ムック

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子どもを授かったが会う時間すらなく、疲弊していた勤務医だった本間けいさんは、医療専門書ではない『人生最適化思考』という著書を刊行した。医師が人生の最適化(デフラグ)を説く? ――そこに至るには、自分の人生をまったくカジ取りできなかったことから脱却を図った思い切った行動があった。

30代・働き盛りの勤務医の苦悩

僕と妻は医師である。子供は3人。まだ幼い。

妻の妊娠前は微塵も考えたことはなかったが、子育てを通して、夫婦2人が共に医師として働き続ける事がいかに難しいのか、様々な点から気付かされた。ああ、僕たちはとても非力で矮小な存在だ、とつくづく自覚した。

なぜ、そういう風に感じるのか、まずは、医師の多忙な生活を説明していかなければならないだろう。

僕も妻も、大学病院で臨床をしながら、大学院生として研究も行っていた。大学院に入ると、「ベッドフリー」と言い、外来や手術、入院患者の診察といった臨床業務を免除されるのが一般的であり、日中から研究のみに勤しむことができる。

しかし、僕と妻の場合は「社会人大学院生」という形だったため、臨床業務は免除されず、業務終了後や休日に研究を行うしかなかった。

僕の場合は、朝は入院患者の診察を外来前に行わなければならないので、午前7時前後に病棟での業務を開始。日中は外来や手術、雑務、外病院での外来。夕方17時頃になったら、再度病棟に戻り入院患者の診察、その流れで、毎日ある臨時手術に2件ほど入る。臨時手術は無い時もあるし、1件の時もあるが、概して終了時刻は午後10時頃。その時間から大学院生としての研究を進めることになる。

膨大なデータをまとめる作業があったので、毎日数時間はしなければならず、終了は午前1〜2時になる。大学病院の場合、入院患者がゼロになることはあり得ないので、そうなると休日も入院患者の診察のために朝、夕2回は病棟に行かなければならなかった。その他に、定期的なオンコール当番、つまり当直業務が回ってくる。

こんな生活が大学院時代はずっと続いた。

人気ドラマ『コウノドリ』はリアルな医療現場と言われていたが、医師たちは全然寝ていなかった……。こちらはヤマハミュージックメディアによる公式ムック

「大学病院」「大学院生」「臨時手術」などといったファクターがあるとより多忙な状況に陥りやすくなるが、もちろん病院毎にカラーは異なるので、忙しさの種類も異なる。一般的には、病床数が大きい病院であればあるほど、重症な患者は集まりやすく、業務も多くなる。

2016年度の厚生労働省委託事業である「医療勤務環境改善マネジメントシステムに基づく医療機関の取組みに対する支援の充実を図るための調査・研究事業報告書」では、病院における許可病床数が大きければ大きいほど、そして年齢が若ければ若いほど、残業時間が長くなる傾向があるというデータが示されている。

医師が看護師のヘルプに回る

医師がなぜ多忙なのか、現状を知らない方も多いのではないだろうか。

医師の多忙の本質は、大きく分けて、2点。

医師が労働者として捉えられていない現実

「大いなる無駄」「過重労働」が、現在の医療システムに当然の如く組み込まれている、

という問題だ。日本の医療の現状を表す一文がある。それは「日本の医療は、医師の性善説によって支えられている」という言葉だ。「その通り!」と医師である僕自身も思う。それだけ、日本の医療は、医師の「自己犠牲の」善意によって支えられている。

そんな言葉は医師の驕りだ、と感じる人は、一度リアルな医療現場を見て欲しい。

クレーム処理、予約取り、同意書取り、不必要な会議への出席、ルーティン検査への事前説明、点滴・採血、紹介状の記入、その他多種多様な問題を、患者の診察、研究、手術の合間にこなすためにご飯も食べずに奔走する医師たちの姿を見ることができるはずだ。僕は、忙しい診療の合間に、警察から証言を求められて裁判に出たことさえある。

こういった「雑務」のしわ寄せは、当然、医師と、その医師が抱える患者に来ることになる。「医療者」と「患者」が犠牲になってしまう、という現実が日常レベルで発生している。

何かのきっかけですぐに瓦解してしまう様な日本医療の危うさを、現場の最前線で働く医師達はひしひしと感じているのだ。

「自己研鑽」という言葉に踊らされる医師

医師の働き方の話になると、いつもこの「自己研鑽」という言葉が付いて回る。
「人の命を守る医師は、自己研鑽し続けなければならない。自己研鑽し続ける事は、勉強であり労働ではない。だから、労働時間とかそんなのは関係ない、自己研鑽(と言う名の労働)をし続けろ!」って論法である。これが正しいのかどうなのか、という議論は、昔から延々と続いている。

しかし、この言葉を真に受け、多くの真面目で勤勉で優しい医師は、「医師のアイデンティティ」を守り続けるために、自己研鑽(と言う名の労働)をし続けるのだ。彼らの人間的な生活を犠牲にして。

医療において、一番守られるべき存在は、病で苦しむ「患者」と、専門知識を生かして力を発揮しなければならない「医療者」である。彼らが最優先になるシステムを作り上げるのが目的であるべきなのに、どうやら「医師の理想の姿」「医師はこうあるべき」といった超正論を、医師に対して周囲が振りかざし過ぎており、結果として、ヘロヘロになった医師たちが、なんとかそれに応えているという構図が日常となっている。この姿を「性善説によって支えられている」と言わずして、何と言うべきなのか。

「患者を救う」ためなら、何時間でも頑張る

働き方の問題になると、労働時間をどうするのか、と言う議論がすぐ前面に押し出される。「月に何十時間以内の残業まで」などと規定するのが、最も分かりやすい基準だからだろう。

しかし、僕の立場から言わせてもらうと、医師に対して残業時間を規定するだけでは、表面的な問題をなぞったに過ぎず、全く本質的ではない。

仮に、真夜中に指が4本切断された急患が運ばれてきたらどうするだろうか? 今月は残業時間オーバーしているから手術をしない、という判断に至るだろうか?

そんなはずはない。医師は残業時間など気にせず、目の前の患者を何とか助けるべく必死に治療するだろう。切断された指1本1本の骨、腱、神経、血管を繋ぎ合わせ、10時間以上の手術をしなければならない。極限状態の集中力を発揮して目の前の患者を助けようとしている医師に対して、「いやー、1日で残業10時間は働き過ぎだから、あと今月は残業しないでね」と、声を掛ける事が出来る人などいないはずだ。

医師は、患者を助ける事であれば、いくらでも頑張れる。もちろん残業時間は短いに越した事はないが、患者を助けるためには、残業時間などを気にしていられない事が日常茶飯事であるのは、医師達は十分承知だ。もちろん残業を短くする施策は絶対に必要だが、そこだけでは全く十分ではない。

医師の仕事を「最適化」しよう

医師不足、医師偏在。非常に由々しき問題である。しかし、その問題は一朝一夕で解決できるだろうか? 現場の医師は、疲弊している。一刻も早く、現状の体制の変革を期待しているのだ。

日本の医療を守るために必要なのは、即効性のあるシステムの整備だ。具体的に言うと、最短で、医師の仕事を「最適化」することである。「医師」というリソース(資産)を最大限活用するために、どのようにすれば医師のために充実した環境を提供できるのか。周囲の人たちがそこを本気で考えてあげなければならない。医師を守る事こそが、患者を守る事に繋がるのだ。

例えば、クレーム処理や予約取り、同意書取りなど、医師がしなくても良い作業を別の人間が行う、と言う考え方は、即効性があるはずだ。タスク・シフティングとも言うが、種々の作業・雑務を医師のアシスタントに行ってもらう、という試みはどんどん適応を拡大していくべきだろう。

医師不足とか言われながらも、その貴重な医師が、誰でもできる「次回の予約取り」で、一人の患者にかかりっきりになっている姿は、滑稽以外のなにものでもない。こんなものはいくらでも権限委譲(エンパワーメント)を行い、空いた時間を、論文読むなり、外来時間を長くするなり、手術の手技を高める時間に使うべきなのだ。

70年前から変わらない「応召義務」とは

医師法第19条第1項に、こういう記載がある。「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」、いわゆる医師の応召義務である。

医師の応召義務については1948年の制定から一度も変更されておらず、これが医師の過重労働の一つの原因にもなっているのは明白だ。明らかに時代は変わってきており、患者側の不当な要求が増えてきている昨今、この応召義務については、「正当な事由」の明確化など、何らかの変革が必要になってきている。

応召義務の闇は深い。どんなに医師が疲れていても、治療すべき患者がいるのなら治療すべきである、と法律で規定されているのだ。

僕が出会った患者の中には、日中に仕事があるからと言う理由で、敢えて夜中の救急に頻回に来る患者がいた。僕の担当患者で、やや専門的な疾患だったので、オンコール(当直)の先生にお任せする事ができなかったのだ。

その患者が来たら深夜に関わらず、僕の携帯に電話がかかってきた。ある日注意をしたら、「医者だろ? 時間に関わらず診ろよ」と言われたのだ。このように権利意識が肥大化した人たちは着実に増えてきており、医師を守る法律が無いという現状は、確実に改善されるべき問題である。

医師も人間、患者も人間。お互いのことを思いやる態度は必要不可欠だ Photo by iStock

ここに紹介した、医師多忙の理由は、まだまだごく僅かである。しかし、どの問題も例外なく、医師が最終的に「ツケ」を払い続けているのが現状だ。

これまでの問題を眺めてみると、大きな流れとして、「既存のシステム」「旧態然の考え」に医師が翻弄されている、というのが分かるはずだ。

それであれば、皆が声を上げて新しいシステムを作り上げればいいではないか、と考える人もいるかもしれないが、そうもいかない。何故なら、当事者の医師たちは、そういった改革・変革を許されないほどキャパシティぎりぎりの生活を強いられているためである。時間的、肉体的、精神的問題を、医師は抱えざるを得なく、何かを変える余裕なんてないのだ。

保育園に落ちて、僕たち夫婦が決めた事

僕たち家族が都内に転居する予定の2ヵ月前、長男の保育園落選の通知が届いた。当時、妻は3ヵ月の双子も妊娠していた。双子出産までの間に勤務医として仕事する予定だった妻だったが、長男を預けられないのであれば、仕事をするのは難しい。春から赴任する予定だった就職先には丁重にお断りを入れた。

落選理由は、ポイントが足りなかったから、という以外知りようがないのが現実だ。医師だろうが、地方から転居してこようが、双子を妊娠していようが、ポイントが基準に満たなければ落選するシステムである。僕たちのポイントは、一般的なポイントよりも高いはずだ、とネットなどで調べ考えていたが、それでも敢え無く落選。ちょうど妻は、その時から切迫早産の兆候が出たため、断続的に入院することになる。

田舎から仕事の合間を縫って、祖母に来てもらったり、シッターにお願いしたり、僕が休みを取ったりでなんとか対応できたが、今思い返せば、本当に綱渡りの毎日だった。しかし、出産後は、双子の入院などで、より大変になった。

話し合いの結果、今までの生活の延長線上には、僕たちの望むゴールはない、という結論に至ったのだ。現実的な話をすれば、夫婦共に、育児と両立しながら総合病院で深夜休日出勤を厭わない常勤勤務医を続けていくことから、「降りる」という決断をした。

都内への転居をきっかけに、妻はしばらく育児、出産に専念(現在は非常勤医師として勤務)。僕は大学での研究職から、クリニックへの常勤に移った。

医師の中には、大学病院や総合病院から離れることを「都落ち」のような印象を持つ医師が少なからずいる。やはり周囲の医師からは驚かれるし、大学病院に残る様アドバイスを受けることもあった。しかし、医師を辞めるわけではない。医師として、人々に貢献できる別のスタイル、働き方があるのではないか、と考えたのだ。

「ゼロベース」で考える

僕たちは、現状を「ゼロベース」で考えた。

医師は、一度医局に入ったり、総合病院に就職したら、そこから抜けるという発想は基本持たない。辞める時の多くは、開業をする時ぐらいだ。

僕たちは、そこから考え直した。

僕たちが職場を積極的に決めてもいいのではないだろうか。そもそも、なぜそのエリアで仕事をしなければならないのか。なぜ、既存のシステム上で仕事をしなければならないのか?そもそも、僕たちは誰のために医療を提供しているのか? どうやれば、医療をより必要としている人たちに届けられるのか? そもそも病気に掛からないようにする方が大切なのでは? どうやれば疲弊した医療者を助けられるのか?

既存の枠組みに嵌らず、「なぜ」を繰り返すことで、生活を、そして人生を根本的に考えることにした。今、僕たちが持っている古い価値観や認識を一度壊して、根本から築き上げれば、より本質的な解決策が見つかるのではないか、と考えたのだ。

これは謂わば、自分軸の人生を選んだ、ということだ。他人から規定される人生ではなく、自分の意思で取捨選択をする働き方、生き方である。だからと言って、現在、僕たちが抱えている医療問題が解決する訳ではない。しかし、自分軸の人生を選んだ事で、僕と妻の考え方はより自由になった。

人生の「最適化」とは

「労働時間を短くしろ!」「自治体のせいで保育園に入れなかった!」と誰かのせいにするのは、世の中の仕組みを甘んじて受け入れ、解決を他者に委ねているに過ぎない。こうなると他者依存の状態になり、常に怒りを抱える事になる。

誰かに用意された枠組みやルールに期待や落胆をするのではなく、自分軸で働き方、生き方を選ぶ事こそ、より本質的だと考えたのだ。

とにかく、ゼロベースで考えること、そして、舵取りできる人生を選ぶ、人生を楽しむ。これこそが、僕たち夫婦が導き出した答えである。

今の僕と妻は、大学病院にいる頃に比べて、ずっと時間ができた。子供と触れ合う時間も増え、なぜか論文を読む頻度が増えた。これは不思議なことだが、忙しくしていた頃には敬遠していた、論文や、医学書を自分から進んで読む機会がずっと増えたのだ。それだけでは無い。クリエイティブな発想、患者・スタッフとの接し方、医学知識、全てがより高まった。

自分の人生を整えやりたい事をする生き方、つまり人生を「最適化」する事こそが、自分軸の生き方である。そして、今の働き方に疑問を感じた時こそ、人生を最適化するタイミングなのだ。

「自分の人生のかじ取りを自分でできていない」と思った自身の体験をふまえ、「人生にとっての無駄を省くとはどういうことか」のノウハウを明確にまとめた一冊。「まずは自分のリソース(資産)を考えるべき」、「リソースとは単なる資産だけではなく、自分のスキルや人間関係、時間の概念でもある」、「最適化とは、『何をしないか』ではなく、『何をするか』に基づく考え方である」等々、具体的な考え方のヒントをくれる。

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