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「ドラクエXI」徹底的にやりこみわかった真実


発売から半年あまり。徹底的にやりこんだからこそ見えてきたものとは? © 2017 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SQUARE ENIX All Rights Reserved. ※画面はすべて開発中のものです

物心ついたときからゲームと付き合い続けてきた筆者が、その長いゲーム歴から最新作や過去の名作までを掘り起こして語り尽くす連載。今回は昨年7月29日にPlayStation4、ニンテンドー3DSで同時発売された「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」(スクエア・エニックス、通称「ドラクエXI」)を今さらながらトコトン掘り下げる。

ドラクエXIはすでに発売から半年以上経っているソフトであり、また公式でも「ネタバレイトショー」といったネタバレ前提のトークイベントを行うなどされていることから、この記事もネタバレ前提で書いていきたい。開発中とされているNintendo Switch版などをお待ちの読者はこれ以上読み進めないことをお薦めしたい。


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まずは基本的な知識からだ。

ドラクエXIは国民的RPGであるドラゴンクエストシリーズの11作目に当たるタイトルである。初代ドラゴンクエストの発売からすでに30年以上を数え、ゲームにまったく関心のない人でも、その名前くらいは聞いたことがあるはずだ。

PS4版と3DS版との違いを楽しむ人も多い

ドラクエXIは、PS4版と3DS版の2種類が同時発売された。今時、PS4とXBOX ONEとPCといった、高性能な据え置き機同士のマルチタイトルは珍しくないが、高性能の据え置きゲーム機であるPS4と、多く売れている携帯ゲーム機の3DSという、まったく基本性能の異なる2機種で発売されるというのは珍しい。

通常、マルチタイトルでは同じゲームを複数機種で販売するものだが、基本性能が大きく異なる2機種では同じゲームを提供できない。

そこで、ドラクエXIでは基本的なストーリーやイベントなどは同じだが、据え置き機のPS4では鳥山明デザインを存分に活かしたリアルな3Dグラフィックを売りにし、一方、携帯機で性能の劣る3DSではデフォルメ化された3Dと昔懐かしい2Dを切り替えて、ドラクエXIの世界を楽しめることを売りにしている。

他の違いとしてはミニゲームがPS4では隅々まで美しいロトゼタシアと呼ばれるゲーム内の世界を探索できる「ボウガンアドベンチャー」、3DSでは、すれちがい通信を利用した「時渡りの迷宮」と、機種の特色を活かし、異なるものを用意するなど、同じタイトルのソフトでありながら、まるで異なるゲームであるかのようなプレイ感の作品である。ドラクエファンの中にはPS4版と3DS版、両方をプレイして違いを楽しんでいる人も多い。

なお、僕はPS4版をプレイしたので、記事の記述はPS4版についての話であることを、あらかじめお断りしておく。

基本的には一本道のRPG

システム面の話をすると、ドラクエXIはストーリー重視のコマンドバトル式RPGである。

日本ではドラゴンクエストシリーズがRPGというゲームジャンルを広めたために、むしろ「RPGとはドラゴンクエストのようなゲーム」という印象が強い。なのでいまさら「ドラクエXIはストーリー重視のコマンドバトル式RPGである」などと書くのもおかしな感じがする。

ただ、ゲームが進化するにつれて、単純に「RPG」というだけではゲームジャンルの説明には足らなくなっている。

特に、もともと本場である海外でのコンピュータRPGの進化速度は相当なものである。特に昨今では「オープンワールド」というゲームがはやっている。

オープンワールドとは用意された箱庭の中にさまざまな「できること」が散りばめられ、基本的にはどこにいって何をしてもゲームが破綻しないようになっている。

オープンワールドには本当にメインのストーリーが存在せず、どのように何をしてもいいというゲームもあるが、ゲーム性を高めるためにメインのストーリーが用意されるものも多い。

RPG特有のストーリー重視や成長の要素は、オープンワールドとも相性がよく、「オブリビオン」や「スカイリム」などのタイトルがよく知られるファンタジー世界を扱った「The Elder Scrollsシリーズ」や、核戦争後のポストアポカリプスを舞台とした「Falloutシリーズ」などのオープンワールドRPGは、世界中でプレイされている。以前にこの連載で取り上げた「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」も、このタイプのRPGである。

一方で、ドラゴンクエストシリーズは、基本的には一本道のRPGだ。Aの街でクエストをクリアするためにBの洞窟へ行き、それをクリアすると次はCの街へ行くというようにデザインされている。こうしたシステムは良く言えば伝統を守っている、悪く言えば全体的にクラシカルなシステムであり、古いゲームとして認識されつつある。

とはいえ、ドラゴンクエストシリーズもただクラシカルであることを引き受けているわけではない。2012年8月に発売された「ドラゴンクエストX(10)」はドラゴンクエストシリーズ初のオンラインRPGとしてリリースされ、今なお新しいストーリーが提供され続けている。

ドラクエ10は、かつてのドラゴンクエストが日本にRPGというジャンルを広めたように、オンラインRPGを広めることを意識して作られている。

オンラインRPGは当然、他の多くの仲間と一緒に冒険することが求められるが、あまりオンラインでの交流が得意ではないプレイヤーでもゲームを楽しめるように、一部の熟練ユーザー向けのエンドコンテンツを除けば、メインストーリーやサブクエストなどについては1人でプレイしても楽しんでクリアできるような工夫が凝らされている。それでもオンラインということで、ドラクエシリーズは欠かさずプレイしていても、ドラゴンクエスト10だけはプレイしていないという人も少なくない。

ドラクエシリーズは、歴史あるシリーズ作品ではあるが、けっして歴史の中に埋没しているわけではない。つねに今の時代に合うRPGを目指す、チャレンジ精神旺盛なシリーズ作品である。

だからこそ、ソロプレイに戻ったドラクエXIで、どのような世界を見せてくれるのか、非常に楽しみだった。

すでにドラクエXIをプレイ人に考えてほしいのだが、このドラクエXIのストーリーに「納得」できただろうか?

最初にそれを考えてから以下を読んでほしい。

主人公たちの成長と崩壊した世界の復興のストーリー

今回の冒険の舞台はロトゼタシア。片田舎のイシの村で育った主人公は16歳の誕生日を迎え、幼馴染の少女エマと一緒に成人の儀式を受けるために山に登る。そこでモンスターに襲われるが、手のアザから不思議な力が発生して身を守ることができた。

無事成人の儀式を終えて、顛末を母親に報告すると主人公が勇者の生まれ変わりであると明かされる。そして大国であるデルカダール王国の王様に報告に行くことになる。

村の人たちに見送られ、デルカダール王国に旅立った主人公は王様に謁見するも、デルカダールでは勇者は「災いを呼ぶ悪魔の子」と呼ばれて憎まれており、主人公は地下牢に幽閉されてしまう。そこで出会った盗賊風のフード姿の男と一緒に、見回りの兵士たちの目をかいくぐりながら、なんとか地下牢を脱出。イシの村に戻るも……。

そして主人公たちは、デルカダール王国軍に追われつつ、世界を旅していくことになる。というのがストーリーの起点となる。

システム面については、ドラクエXIでは旧作のようにフィールドをうろついて経験値稼ぎをする必要はほとんどない。普通にモンスターと戦っていれば、レベルもサクサクと上がっていく。基本的にはボスが強すぎると感じたときだけ、レベル上げをすればいいだろう。

他のRPGと比べると、レベル上げが必須でもなく、かと言って強すぎる無双状態にもならず、レベルコントロールは非常にしっかり計算されていると感じられた。

ストーリーに戻るが、旅は進み仲間も増え、主人公たちはやがてロトゼタシアのすべての生命を司る命の大樹にたどり着くものの、魔王ウルノーガの策略により、勇者のつるぎは奪われ、命の大樹は枯れ、仲間たちも散り散りになってしまう。

ここからストーリーは中盤に入り、新しい仲間とともに、散り散りになったかつての仲間を探す旅が始まる。前半は王道ながらも、素直に進みすぎると感じるストーリーであるが、しっかりとどんでん返しがあり、中盤は破滅を迎えた世界で、仲間たちの抱える問題や、また世界を救うという覚悟に触れながら進んでいくことになる。

一方で、仲間であったベロニカは死んでしまい、もう戻ってこないという現実を知らされるのであった。

僕はこの中盤のストーリーが大好きである。これまでどこか、大切な仲間という記号性はありながらも、どこかあっさりしていた感のある仲間たち、その一人ひとりスポットライトを当てられて、血肉を与えられたかけがえのない存在になっていく。世界が崩壊してからのストーリー展開となるため、仲間たちの強い意志と絆が語られ、思い入れも強くなっていく。

こうしたキャラクター一人ひとりへの濃密なストーリーは、やはり物語を丁寧にたどっていくストーリーRPGならではと言えるだろう。

そしてやがて勇者のつるぎを打ち直し、ウルノーガを倒すことができれば、命の大樹も復活し、世界は多くのものを失ったが、生き残った人たちがこれから復興を目指していくということで、エンディングロールが流れて、一見ゲームはクリアしたかのように見える。

ウルノーガを打ち倒した時点でのドラクエXIは率直に賞賛できる面白いRPGであった。

主人公たちの成長と崩壊した世界の復興のストーリーは飽きることがなかったし、レベルアップと敵の強さのバランスも適切なために、ゲームに詰まることなく集中してサクサク進めることができた。

どうしたって過去に戻る選択をするしかない

ただし、ドラクエXIはまだここでは終わっていない。

その後、少しイベントがあって、プレイヤーには「過去に遡る選択」が与えられる。過去に戻り、やり直すことでベロニカを失わず、かつ世界が一時的にでも崩壊せずに、多くの人が死ななかった世界に戻すことができるのである。

とはいえ、命の大樹が崩壊する前の世界に戻るということは、それ以降の主人公と仲間たちの絆を一度失うことを意味する。崩壊した世界で必死に戦ってきた仲間たちの苦労や決意を無にする必要はあるだろうか?

プレイヤーである僕自身としては、過去に戻る気にはまったくならなかった。なぜなら崩壊から復興に向かうストーリーが大好きだったからだ。

確かに、多くの人が死んだということは痛ましい。多くの死というのはRPGの戦いではいくらでも起こりうることである。ベロニカの死についても、妹であるセーニャはすでに乗り越えている。僕には現状のロトゼタシアの世界が、過去に遡るという大技を駆使する必要があるほどに絶望的な状況であるとは、とても感じられなかった。

主人公には多くの人を救うために過去に遡る必然性があったのかもしれない。実際、すべて終わってから振り返れば、過去に戻らなければ邪神ニズゼルファという存在を抱えたまま、ロトゼタシアに恒久の平和は訪れなかったとは言える。

それでも、プレイヤーである僕には過去に遡るだけの必然性は感じられなかった。崩壊後のストーリーが本当に心から楽しめたからこそ、わざわざ崩壊する前に戻って、それをなかったことにする気がまったく起こらなかったのである。本当に選択ができるなら、僕は過去に戻ることを選ばなかった。

ところが、「過去に戻らないルート」というのはゲーム上に存在していない。もちろんプレイヤーが「これでいいや」と考え、ゲームを進めることを放棄することで過去に戻らないことはできるが、ゲームのストーリーが続く以上、プレイヤーにゲームを辞めるという選択肢は存在しない。ゆえにプレイヤーはどうしたって過去に戻る選択をするしかないのである。

過去に戻った主人公たちは命の大樹崩壊前の時点、命の大樹に至る少し前の時点に戻る。そこには確かに死んでしまったはずのベロニカが生きていた。

プレイヤーである自分は困惑しているが、仲間たちにとっては冒険が続いているだけであり、いつもどおりの様子だ。主人公は過去へと戻った記憶を保っているはずだから困惑しているはずだが、ドラクエの主人公の常として「ほとんど意思を表現しない」のでよくわからない。

この時点で、ストーリーは自分の思いとはまったく違った方向に走っていくことになった。僕は主人公を自分に重ねるのではなく「主人公を動かす人」となって、ドラクエXIというゲームをプレイすることになった。

すでにプレイヤーという自分は、時を遡るという最も大きな決断で完全に無視されているのだから、もうそれは主人公のストーリーでしかない。

ドラクエXIが発売されて少し経ったころに「ドラクエを終わらせちゃった人たちへ 終わらないドラクエ」というキャッチフレーズで、ドラゴンクエスト10のCMが流れ、映像には「やり終えて少し呆けた感」のある人たちが映っていたが、過去に戻るという選択を強制された自分がドラクエXIをプレイしている心的イメージはあの呆けた姿である。

極めて微妙な感覚のまま、ゲームを進める

僕はここから完全に割り切って「ゲームとしてのドラクエXIを終わらせること」を進めた。ただクリアに向かって効率よくレベルアップを行い、ひたすら鍛冶に打ち込んで武器や防具を徹底的に強くした。ラスボスに撃ち勝つためというよりは、ゲームを終わらせるためである。過去に戻ることはまったく自分の意思ではなく、その後のストーリーに対していっさい思い入れを感じることができなくなってしまったからだ。

仲間の一人であるカミュのシナリオを例示する。

命の大樹が崩壊した後に、実はカミュには妹がいることが判明する。しかし、とある事情により呪いを受けて動けなくなっている。

その呪いにつけこんだウルノーガの力によって妹は魔物となり、主人公たちの敵として立ちはだかる。主人公たちは苦労して妹の呪いを解くことに成功する。

しかし、これが過去に遡った後のシナリオでは、勇者のつるぎの力によりあっさり呪いを解いてしまうのである。

ストーリー的には時を遡る前では、不意打ちにより、勇者のつるぎの力をウルノーガに奪われてしまう。その結果、命の大樹が枯れ、ウルノーガがカミュの妹などに悪しき力を与えることとなり、主人公たちは苦労する。

一方で、過去に遡った後は不意打ちを防ぐことができる。そのため、ウルノーガは勇者のつるぎの力を得ることができず、命の大樹の崩壊も起こらなければ、カミュの妹も悪しき力を受けることがない。結果として単に呪われた状態を解けば解決ということにはなるのだが、あまりにあっさりしすぎている。

他にも、崩壊後に仲間たちが苦労して得た力なども、この調子であっさりと得てしまうので、どうしても思い入れが浅くなってしまうのである。

また、ウルノーガを倒した後にスタッフロールが流れてしまうために、その後のストーリーの扱いが、あくまでもゲーム後に隠しボスを倒しにいくようなものなのか、それともストーリーのしっかりした続きなのか、極めてあいまいに思えた。

ゲームシステム的に「クリア」といえるのは、過去に戻った後のラスボスであるニズゼルファを倒すことである。しかし一方で本筋のストーリーライン自体は、過去に戻る前のラスボス、つまりウルノーガを倒すことで、一段落ついてしまい、過去に戻った後は蛇足であるように思える。

ストーリーの本質としてはサブタイトルの「過ぎ去りし時を求めて」が示すとおり、時を遡り、失われた仲間に再び出会う過去に戻った後がゲームの本番なのだと僕は思うのだが、ゲームデザイン的に、普通にクリア後扱いで余談としてのストーリーなのか、本番としてのストーリーの扱いなのか極めて微妙な感覚のまま、ゲームを進めるしかなくなってしまったのである。

過去に戻った時点で、自分自身の意思とゲームのストーリーは大きく離反し、ついに最後までその関係は元に戻ることはなかったのである。

ウルノーガを倒した時点では自分の中では95点くらいだったドラクエXIの評価は、最後までプレイすると60点程度に落ちてしまっていた。

プレイヤーはとてもワガママになった

世界中で親しまれているオープンワールドRPGでは、プレイヤーが主人公をどこへ動かすかや、クエストをどのような終結に導くか。その選択がプレイヤー自身に委ねられることが多い。

当然自分で選択しているから、選択の結果、意に反する事態となってしまっても、プレイヤーはそれに納得するしかないし、おおむね納得できるものである。しかしストーリー重視の一本道RPGではストーリー展開はゲーム制作者に委ねられる。ゆえに、ストーリーに納得がいかなければ、それは制作側の責任である。

もちろん、ストーリーの受け取り方は十人十色だから、今回のストーリーに納得をしている人も多いのだろう。しかし、僕はとても納得できなかった。

もし、ウルノーガを倒したはいいが命の大樹は復活せず、人々も徐々に死に絶えていく。主人公たちにはもう何もすることができず、世界の滅びを待つことしかできない。そんなどうにもならないロトゼタシアの世界を表現できていれば、過去に戻って命の大樹の崩壊を防ぐことに主人公はもちろん、プレイヤーの躊躇もなかったはずだ。

崩壊後の世界には希望があったのだ。ベロニカが死んだとはいえ、戦いに仲間の死はつきものであろう。その結果をわざわざ過去に戻って改変するということに戸惑ったのである。

レーティングの問題なのかなとも思う。ドラクエXIは「CERO A」つまり全年齢を対象にして販売されているため、あまり悲惨な状況を表現できず、崩壊後の世界を十分に描けなかったということがあるのではないか。

まだゲームが発展途上の時代には、ストーリーが理不尽でも、プレイヤーは「そういうものだ」と思うことができた。ゲームに含むことのできる内容は少なかったし、グラフィックだって貧弱で、プレイヤーは制作側の都合を素直に受け入れるか、自分でゲームを作るしかなかった。

現在では昔のゲームからすれば無限と思えるほどの容量があり、またグラフィックも現実と見まがうようなものも表現できるようになった。ゲームが成長すると、プレイヤーはとてもワガママになった。製作者の都合だけではない、自分だけの冒険をしたいと願うようになった。そしてそれを叶えることができるゲームが支持され売れるようになったのである。

自由を与えずとも、いかにその気にさせるか

僕はオープンワールドの台頭や、ユーザー側がゲーム内のデータを書き換えてゲームをアップグレードする海外のMOD文化の成熟はそういうものだと考えている。

オープンワールドなどのRPGでは、プレイヤーの体験をプレイヤー自身のプレイに委ねることができる。プレイヤーがゲームの世界という箱庭の中で、どこでどんなサブクエストをプレイしようとゲームが破綻しないようにできているのが、オープンワールドの特徴である。

プレイヤーが自己責任でゲームの内容を書き換えるMODの文化は、ともすればゲームそのものを破綻させかねない代物であり、実際に世界観をめちゃくちゃにするようなMODも存在するが、プレイヤーたちに広く支持されているのは、世界観をより深めるゲームに見合うMODである。

そうしたゲームではプレイヤーたちはゲームを素の状態(バニラ)から、自分好みに作り変えて満足を得ている。もちろん素の状態で満足できないゲームをいくらMODで改造しても満足できるようになるとは限らないが、素の状態で満足できるゲームであれば、プレイヤー間でMOD情報を共有することで、もっと楽しい自分好みのゲームに作り変えることができる。

すでに世界中のゲームプレイヤーたちが、自分のゲームを自由にプレイすることに慣れた土俵で、プレイヤーに自由を与えずとも、いかにその気にさせるか。ドラゴンクエストシリーズが戦わなければならないのはそういう土俵の上なのである。

僕にとっては、ドラクエXIは十分な満足を与えてはくれなかった。それは中盤のストーリーがとても良く、仲間たちに愛着を持ちすぎてしまったせいで終盤に納得ができなかったからだ。もし凡庸なRPGであれば、高揚感もなく、ただ「そういうゲーム」として十分納得してプレイしていたはずである。

ドラゴンクエストシリーズはそういうゲームではない。ドラゴンクエストシリーズには、日本のRPGとしてのフラッグシップであってほしい。少なくとも僕はそう考えている。

いつか発売されるであろうドラゴンクエスト12では、十分満足を与えてくれるゲームを生み出してくれるだろうと願っている。

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