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“山口組芸能部長”が語っていた「高倉健さんの思い出」

田岡三代目の頃から、山口組と芸能界のパイプは太かった(写真:共同通信社)

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 元ヤクザの男が、老人ホームでひっそりと息を引き取った。男はかつて、ヤクザと芸能界のパイプ役を務め、“山口組芸能部長”の異名を持つ超大物だった。とくに縁が深かったのが、3年前に亡くなった俳優、高倉健だったという。ノンフィクション作家の森功氏がその関係性を辿る。(敬称略)

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「新幹線で二代目の井上(茂樹)さんが東京に向かっているところみたいです。大石さんが亡くなったのは、間違いないでしょう」(警視庁関係者)

 入盆前の8月9日、斯界に訃報が駆け巡った。その前日、山口組初代大石組組長の大石誉夫(たかお)が、東京近郊の特別養護老人施設で急逝した。死因は誤嚥性肺炎だった。

 1933年2月20日、愛媛県新居浜市生まれ。実兄・宮次郎のあとを追うように山口組入りした大石は、神戸港の冲仲仕(港湾労働者)を束ねる小さな組に過ぎなかった山口組を日本最大の暴力団組織にした中興の祖、三代目組長の田岡一雄に引き立てられた。岡山で大石組の看板を掲げて直参と呼ばれる直系二次団体に昇格。四代目の竹中正久体制で舎弟、五代目の渡辺芳則のときには舎弟頭補佐に就任し、執行部入りした。

 五代目体制で3万人規模に膨らんだ山口組では、全国に散らばる直系組織をブロック制にし、大石は中国・四国ブロック長として一円に睨みを利かせた。山口組屈指の資金力を誇り、2005年7月に発足した六代目組長の司忍(本名・篠田建市)の顧問に就いた。2012年2月、大石組を井上茂樹に譲って引退した山口組の元最高幹部である。大阪府警の元暴力団担当刑事がこう解説する。

「大石は資金力にものを言わせて他団体にも金を貸し付け、手足を縛ってきた。六代目体制を築くにあたり、若頭の高山清司は大石の資金力を頼り、大石が金を貸している大阪や九州のライバル組織を抑え込んできたのです。だから大石は顧問に退いても重要な役回りを担ってきたといえます」

“山口組芸能部長”の異名を持つ。大石は芸能界に太いパイプを築いてきた。私も何度か会ったことがあるが、初対面のときの言葉が印象に残っている。

「私と健さんは歳も近く、親しくさせてもらいました。私の息子が若くしてアメリカで亡くなり、それをずい分気にかけてくれていましてね。息子の命日になると、わざわざ東京から岡山へ焼香にやって来てくれるようになりました。事前に電話一本もなく、付き人も連れず、一人で東京から岡山までポルシェを運転してフラリと訪ねて来ましてね。そこまでしてくれる芸能人なんてほかに誰もいません」

 言うまでもなく健さんとは高倉健のことだ。二人の関係については、8月29日刊行予定の『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)に詳しく描いているが、そこに紹介しきれなかったエピソードもある。

「親分は健さんとの交友が自慢でした。有名な恒例の善光寺参りにも誘われていました。さすがに人目を気にし、一緒に寺に参拝することはなかったけど、毎年のように行っていました」

 大石の側近がそう明かした。

「東日本大震災のとき親分はすでに岡山から東京のマンションに移り住んでいましたが、そこにも『大丈夫でしたか』と陣中見舞いに訪ねてきました。駐車場から健さんの電話があって、親分が『お前らは来んでええ』いうて部屋を出て、どこかで二人で話をして戻ってきたことがありました」

※週刊ポスト2017年9月1日号

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