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オリンピック・エンブレム釈明会見は重ねて真っ黒/純丘曜彰 教授博士

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「こいつをオリンピックのエンブレムに取り付けろ。私の札幌の三分割DNAを参考に開発した。すごいぞ、こんどは九分割で合体変形だ。オリンピックの展開力は圧倒的に跳ね上がる!」「こ、こんな古くさい物を、、、か、会長ぉぉぉ、、、(〃゚д゚;A」

 一番よくわかったことは、永井は篠塚(1998年長野オリンピック・エンブレムのデザイナー)が大嫌い、ということ。まるで長野オリンピックなど日本に無かったかのような説明。こんな個人的私怨のせいで、日本のオリンピック・エンブレムの歴史、招致ロゴとの関連が切り裂かれた。連続的継承ということからすれば、今回のオリンピックのエンブレム審査委員代表は、むしろ前回のものを作った篠塚こそが務めるべきだった。間違った人物に審査を依頼したことがすべての間違いの元であったことが、今回の会見ではっきりしてしまった。

 第二に、審査基準のゆがみ。しきりに永井はロゴとしての展開性を強調していたが、そんなものは、オリンピック本来の理念とは関係が無い。審査目的を忘れ、ただデザインとしての優劣を論じていることが異常だ。そもそも、観点が、あまりにアナクロ(時代錯誤)。基本図形の積み木型パーツに展開性があるのは当然。戦前、曲線装飾過剰なアールヌーヴォー様式に対して幾何学的図形を用いるアールデコ様式が生まれ、さらにそれを機能美のみに絞り込んだミニマリズム(最小主義)が提唱されるようになる。1970年の大阪万博のころ、実際に同一の幾何学図形的パーツが機械で大量生産できるようになって、建築やデザインで、ミニマム・ジオメトリック・デザイン(単純な幾何学図形による構成)が大流行した。また、パソコンにグラフィック能力が無かった1980年代、アスキー(数字を割り当てられた基本文字)の転用だけによる図形表現が劇的に発達し、「シュリフトビルト」の伝統をも取り込んで、こんにちの「アスキーアート」に至っている。その積み木状の立体展開も、あえての回顧趣味として、いま、『マインクラフト』として知らない者はいまい。また、近年、たしかにミニマム・ジオメトリック・タイポグラフィーがはやりだが、これくらいのものでないと世界では通用しない。


 第三に、印象に残ったのは「黒を白に」という言葉。だれがどれに入れているのか丸見えの色別チップによる回遊入票では、「バラエティ」もなにも、審査員個々の入票の独立性が担保されていない。永井が当該審査外でもさまざまな実際の業界権限を持つ以上、その意向に反する入票はできず、これでは永井がたった一人で決めたのと同じ。公明正大な場において、ましてデザインにおいて、白は、白でなければいけない。当初から既存ロゴとの類似が懸念され、本人が修正したらまた別の既存ロゴとの類似が出てくる、そもそも実際に本人が認めて取り下げざるをえないような剽窃事件に関与しているなどという、限りなく黒に近い人物は、もともと応募の資格と資質に欠ける。(後のものが元のものと同じ、というのであれば、後のものもまた元のものと同様の誹りを免れず、また、まったく別だ、というのであれば、それは公募と審査を経ていない作品を不正に選んだことになる。席を蹴った、という平野の高潔な態度こそ、プロとして当然。)


 おまけに、すでにロゴのプレゼンのビデオや音楽まで剽窃を疑われているのに、今回のロゴの剽窃釈明会見でもまた、その釈明資料そのものからして新たな疑いが出て来ている。二日間のはずの服装や日付が妙だし、ベルギーなんか知らない、と言い切っていた作者が、ちゃっかりベルギーの「トゥモロウランド」(これがTロゴのトゥモロウの正体か)という音楽フェスの写真を使い、そのうえ、人の国の旗を自作ロゴに塗り替えるなどという、失礼不敬な行いをやらかしたのではないか。また、羽田空港の方も、他人の写真の著作権表示を作為的に消しているようだ。そのうえ、サントリーのイラストで洋書を右開きにしたごとく、外国人が帰途につく出国ロビーで「ウェルカム!」。いったいどこまでhogehogeなのか。(表彰台も変。金銀抜いて、真っ黒が一位? それ、グラデ業界だけだよ。)

 いかに業界一の「権威」とやらがお勧めしても、イヤなものはイヤ、ダメなものはダメ。アートは、問いかけだ。コミュニケーションだ。アーティストだけでなく、観客にもまた、人間としての生きた感性がある。むしろ、この世ならざる世界を夢見ているアーティストの方が危うい。だから、私はこんなすごい夢を見た、みんな、どう思う? と、観客に問いかけてみる。もちろん、それでときには凡庸なものが人気になり、崇高なものが打ち捨てられる。だが、長い年月の中で、流行の駄作は淘汰され、永遠の傑作は名誉を回復し、人類の芸術は生まれ育っていく。その大きな流れの中の一人にすぎないことを忘れ、コミュニケーションにおける礼節への謙虚さと相手への誠実さを失い、ここまで意地になってオレさま趣味を世間に押しつけようとするなど、基本姿勢からして言語道断。


 オリンピックは、私怨を晴らしたり、デザインを競ったりする場ではない。組織委員会は、なんでもいいから、さっさと揉め事のない無難な第三者のロゴに変え、本来の仕事、選手や観客を世界中から暖かくお迎えする準備を早くやれよ。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン、元ドイツ国立グーテンベルク大学メディア学部客員教授。専門は哲学、メディア文化論。)

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